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・今までの私の生涯には晴れた日も曇った日もあった
・けれどもすべては自分のためになったのである
........アンデルセン/デンマーク/童話作家........
学生時代以来遠ざかっていた太宰や中也にまた会いたくなった方
友を選ばば書を読みて六分の侠気九分の熱の心意気にまだ惹かれる方
大瀧詠一や南義孝のメロディーにいつでも心惹かれるあなた
子供の頃についた心の傷って、大人になったからといってそう都合よく癒えはしないことに気づいた方
つまりは男ってものはな心にでっかい傷を持って生きているんだと呟くあなた
女に嫌われた男と男に嫌われた女には大きな違いがあるんだと泣くあなた
ひととおりのかなしみ以上に深いかなしみも知るあなた
投票の帰り道にひらがな候補者の名前を間違えたかも・・と弱気なお方
そんなあなたに捧げます
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大相撲九州場所八日目、若隆景には欧勝馬
立ち合い若隆景が、欧勝馬の左まわしをふかくとって左下手充分。右のかいなを欧勝馬の左わき下に深くさして胸を合わせてズンズン前に出る。
欧勝馬の両脇が空いたまま身体が立ってしまった。そこへ若隆景が東土俵へと一気に押し出したから、たまらず欧勝馬が俵を割った。若隆景の勝ち!ともに三勝五敗、はや中日折り返しとなりました。
アナウンサー:今のわかったきゃかげの取り組みはどうだったですか?元若の里の西岩さん。
西岩親方:そうすね、今までの対戦からみてわかぁたかきゃげには欧勝馬にも十分分があると思ったんすがね。
アナウンサー:立ち会ってすぐにわきゃーたかきゃげが左下手をとりまして、正攻法の相撲にもちこめましたですね。
西岩親方:そうっすね、わかったきゃきゃかげは、右よつとおっつけとそれを活かした下からの攻めが得意技ですからねえ。
アナウンサー:特にわきゃてゃかきゃぎぇの「おっつけ」は、相手の腕を肘の外側から下から絞り上げて崩す技です。
西岩親方:わっきゃあてゃかきゃげの代名詞とも言える巧みな技です。
アナウンサー:あの、引き締まった身体から繰り出されるわかきゃきゃきゃぐぇの巧みな取り口や、下からの攻めを活かした正攻法が得意すからねえ。
アナウンサー:西岩おやきゃたあ、あすはわっかっかたきゃーぎぇは、たきゃやしゅ(高安)との取り組みが予定されています。
西岩親方:もーちゅぎ いきまチョ。
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<別刷り:戦慄の生活係5>
春のギョーチュー検査の検体集めは生活係の大事な仕事のひとつだ。回虫の検便とともにそれぞれ一年一回行われ、
その都度生活係がクラス全員の検体を保健室に持ってゆくのだ。
責任ある使命だと思うからオレはその日、朝から心がはやった。
通学路を早足して一番乗りで学校に着いた。すのこを渡って一階の保健室に着いたが、当たり前だがまだしまっていた。
仕方なく壁のトラコーマの天然色の絵のポスターを眺めながら待った。やがて廊下が騒がしくなり下駄箱周辺に生徒が集まってきては各教室に吸い込まれていった。
誰かがへたくそな笛を吹く音、机をずらす音。廊下を疾走する足音に、するわけがないリンの音が。騒がしい。
そのうち保健室の先生がやって来て、おやおや早いねえ、なんていいながら、表にクラス名と男女それぞれの人数が書かれた大きな茶封筒を二枚渡してくれた。
中にはギョーチュー検査の四センチ角のセロファンテープ(ピンテープ)が人数分入っていた。
これを教室まで持っていき、みなに配るのが生活係の仕事だ。
教室まで歩くうちに、生活係としては検査の仕方の注意くらいよく知っておかなければならないとおもった。
紺色のセロファンの薄い袋の中にぎょう虫検査のシールが入っている。セロファンにはうずくまりながらこっちを向いた天使の絵が描いてあった。
天使が左手で尻の穴にシールをあてて押さえている・・・ようにオレには見えた。
シールの真ん中にオーケーマーク大の渦巻きが点線で印刷してあった。この絵を一瞥して親指と人差し指でこのシールをしっかりつまみ、
薬指の先で反対側を支えて尻の真下まで持っていき、一時待機したのち中指先をうずまきの真ん中にあててぐいっとコーモンに押し当てるのにちがいないと理解したのだった。
この検査のコツを、是非教室のみんなに生活係としては教えておかなければいけない気がした。なんだか先生みたいに偉くなったようで気分が高揚してきた。
渦巻きの中心をコーモンの真ん中に押し当てるという部分がとくに気に入った。
どうせよく聞かしたところで、中心を外してくるようなやつもでてくるだろう。だからこの点だけは要注意点として、みんなに入念に説明せねばならんとおもった。
さらに、オレはシールのベタベタ面を肛門に当てるのであって、つるつる面を当ててしまったらシールが中指に貼り付くし、
コーモンの跡がつかないので注意するようにと、生活係として皆に注意しようと決心したのだった。
青いセロファンのほかに検査のやり方をかいた小さな紙が添付されていたから、これを読めば誰でもできそうだった。が、わからんやつもいるからなあとオレは心配した。
説明書きには、朝起きて排便つまりうんこするまえに、検査テープの隅を親指とひどさし指でしっかり持って、中指で渦巻きの部分を押さえて、ベタベタ面をコーモンに押し当てるのだとあった。
実際、裏のクリーム色の厚紙の縦の切れめを観音開きに開くとセロファンテープの糊の面が出てくる。このシールのベタベタ面をコーモンまで持っていき
、中指でしっかり貼り付けるのだ、と再確認した。
ちょいと考えてから、そうだ説明するときに「中指でコーモンをゆびさすように」と言ったらみんながわかりやすいと言って感心すると思うと、ますます嬉しくなった。
その後は貼り付けたテープをビピッと剥がすだけだということはすぐわかることた。最後にコーモンの跡がついているシールの糊の面にもう一枚入っている厚紙を貼り付けてカバーしておしまい。
いわば指紋をとるのと同じで簡単なことで言うまでもないとオレはおもった。
みんなには繰り返しますが中心を外さないことと糊のベタベタ面を間違えないようにと念を押したほうがいいと生活係としての責任から、そう言うことにした。
それから、一番大事なことにハッとして気づいた。
それは朝うんこする前にシールでコーモンの痕跡を写し取ることである。
ひょっとするとギョーチュー検査のことをすっかり忘れたやつが寝起きの朝いちでうんこしてしまったなどという問題がでてくるかもしれない。
その場合、シールにコーモンのやわらかいうんこがくっついてしまうではないか。そうなるとギョーチュー検査どころではなく回虫の検便になってしまうのだ。
この点がすごく重要だと思った。そういうやつには次の日でいいから、うんこする前にシールを貼れと言ってきかせておこうと誓った。
このようにオレは同級生の皆に先がけてギョーチュー虫検査のしかたばかりか、生活係としての皆へお知らせするべき
微々再々の注意事項までマスターしたのであった。
そんなことを考えながら先生の机の上に二枚の茶封筒を置いて皆をみはらした。
どういうわけかみんなが一斉にこっちを見たからオレは生活係としてこの度のギョーチュー検査について説明するのは今だと思った。
えーこれからギョーチュー虫検査の説明をしまーす。大きな封筒から何枚かの青いセロファンの検査用紙をとりだして見せた。
このセロファンの中にやり方が書いてありまーす。見ればわかると思うけど、天使がしているように中のシールを出す、
そして裏の紙を剥がしてみんなのコーモンに間違いなくベタベタ面で押し当てるんだゾ。それからこの検査はうんこする前にするんだからな。
じゃないとうんこかくっついちゃうぞ。ああ、もううんこしちまったとしたならばだ、次の日充分注意して、
うんこする前に検査してオレんところへ持ってきてもいいのだと話したから、みながそうかそうかとうなづいていたので気分爽快になった。
いきなりオレの頭にもう一個、その場の思いつきの注意事項が浮かんだ。これはすごく大事なことだと思えた。
それは、あまり中指に力を入れて押すとコーモンに指が入っちゃうゾ、指にうんこがついたら・・・・。
それから、生活係が大事なギョーチュー検査の話をし終わった時点で皆を見回した。すると、あのハラダが右手でつよくゲンコを握ったときの小指の皮のシワがコーモンと
同じだとか言いながらゲンコの小指側を前のやつにみせてニヤニヤしていた。その隣のサイトウのヤツまでもがそ~だなーとか言っているのが聞こえたから、
そういうふざけたことすんなよー。
ぶっ飛ばすからなあ、と言ったらハラダのやつがしねーよなんて言った。しかし、コイツだけはやってきそうなので下校時に良く言い聞かせてやろうと思った。
てなわけで、次の週に先生の机の前に立って、ぎょう虫検査のシールをみなが持ってくるのを受け取ると、それぞれ男子と女子とに分けて茶封筒に入れていった。
案の定忘れてきたやつが5名もいたから次の日まで茶封筒は、おれの机の引き出しに保管しておき、翌日無事全員分を揃えることができたのだった。
最後に茶封筒の中の男子と女子全員分のシールの名前の有り無しと枚数をもう一度確認した。
その時、オレの頭にどう言う具合かテレビの抽選番組の光景が浮かんでしまったのだった。一等当選者は・・・なになにさんです!ってやつ。
よせばいいのにオレとしてはホントに今になっては、どうしてだかわからん頭の働きであった。
先生の机の前で立って、意地悪かつ凶悪な目で女子の茶封筒を手に取り目の高さで皆の目にさらしたのだった。
女子の悲鳴が上がる中、おれは女子の茶封筒に手を突っ込んだ。
一段と大きな悲鳴が女子たちから上がった。こんしゅうのとうせんしゃはー!とオレは皆を見回しながら茶封筒から一枚をとりだし、得意げに見せものにした。
クロタキユミコさんでーす!とオレが良い気で叫んで、更に鼻に近づけると匂いを嗅ぐまね。くさそーな表情をするとともに、シールに目を近づけてじっと見たのだった。
シワシワが見えまーすって言ったら、クロタキさんが泣いてしまった。クロタキユミコさんはクラスでも一番のべっぴんさんで意識もしていたのだったが
、こういうことで嫌われるなんてことよりも、そのときのオレとしてはその場のイジワルの快楽に酔いしれるばかり。好感度なんか全く配慮できていなかったんだな、これが。
さらにまたまた。よせばいいのに、第二位を発表しまーすと手を突っ込んで選んだのがクラスでは可愛くないカワシマさんのだった。だからにおいもかがなかった。
クラス中が大騒ぎになった。それから第三位をハッピょー!と言いかけたらいつのまにやら後ろにヤマウチ先生が来ていてオレの頭をひっぱたいたので混乱が収拾した。
この日は職員室で20分ぐらいみっちり叱られた。反省文が原稿用紙2枚分。何で怒られたのかということについて書きなさいといわれたのだったが。
今となっては何をどのように書いたものやら、全く忘れた。
下校が許されたときは陽が傾きかけて、あたりが朱に染まっていた。
体育館の屋根の周りにコウモリがハタハタ飛び回っていた。足を強く前に蹴り出し、
靴を上空高く飛ばす。コウモリは落ちてくる靴を追いかけて寄ってくる習性がある。コウモリの高度が一番低いと思ったところで、
校庭の細かい砂利一握りを散弾のように投げつけるのだが、そのときは4回目で撃墜できた。
コウモリの顔はいつ見ても醜い。
全体がネズミに似ているが、耳鼻が醜く、奇妙で凶悪なヤツに見えるからゾクッとする。
いつものようにゴムのようなコウモリの翼の両端を持って広げたりすぼめたりしてひとしきり遊んだ。
誰かの家に持って行ってあそんでいきたかったが、遅かったし、家に持ってかえっても
又気持ち悪いって叱られるのも嫌だったから川に投げ捨てた。
以前コウモリを捕まえた時、なま殺しにしてしまったからしかたなく家まで持ってかえった。
そいつをプラモの空き箱に入れておき明日学校に持って行こうとおもっていた。
それが次の日までにはそんなことなどすっかり忘れてしまった。
半年くらいしてから放りっぱなしのその箱がどういうわけかミシンの踏み台の下から見つかった。
中に干からびたコウモリが入っていたので家で相当叱られたことがあったのだ。
去年徳丸田んぼで一抱えもある量の青大将の抜け殻を手に入れた。明日学校に持っていこうと思って八畳間の押入れの布団の間に隠していたのだが
それを見た家の者がたいそう驚き烈火のように怒って、オレなりに結構つらい目にあった。が、その時に似ている。
蛇の抜け殻といえば、その頃は季節になればあっちこっちの藪ですぐ見つかった。
中でもアベさんちの物置で見つけたのは相当太くて長いやつだった。それをランドセルに詰めて学校に持って行って、机の引き出しに隠していた。
ミヤモト、ヤジマとハラダに見せたら欲しがったので、80㎝くらいづつちぎって分けてやった。
残りは前の席のホシノさんとか右斜め前のタカハシさん、それからエノモトさんなんかの女子のランドセルのポケットに黙って入れてやった。
その件では、後でほめられも叱られもしなかったし感謝もされなかった。何もなかったみたいで不安になった。
その後、お富士さんの縁日の時、ヤジマが、カトウさんのお母さんが抜け殻で腰を抜かしたんだという。
クラスの女子全員にはかなり嫌われているらしいと。
ずっと前、一升瓶にアメリカシロヒトリを口切いっぱい詰めたのを見せて歩いた時のモロオカさんのおかーさんみたいだ。
長い棒を一升瓶に突っ込んでかき混ぜようとしたら駄菓子屋近くの知らないオバサンが、ギャー何するの!って叫んだ。それと似た感じ。
混ぜた中身を道に少しづつ撒きながら歩いたらヒラタさんのオバサンが毛虫は嫌いョーって叫んで、いやな目でオレを見たのと同じだな。
へびのぬけ殻と毛虫とコウモリは死んだやつでも見せたら女子やらオバサンに相当嫌われやすいんだなと解った。
ともかく、今回のぎょう虫検査の件で生活係の任務を解かれるようなことはなかった。
しかし、後の回虫検査の検便を集めた際に、茶封筒をオレの机の中に入れておいたことを何故か忘れてしまい、保健室に持っていくのが10日遅くなってしまった。
えっ?検便をまだ保健室に持っていってなかったのか?
検便が干からびたじゃないかとかと叱られた。確かに検便ケースを振ったらカタカタと中のうんこが乾いて移動する音が聞こえた。
水を加えてもどせば検査には差し支えかないのではないかとも思ったが言えば怒られるとおもって黙っていた。
みんなにまたうんこしてもらいまいましょうなんて言っても先生がもっと怒るなとおもうから、どうしようもなく立っているだけだった。
あの時は先生から検査がだめになったじゃないかとかなり怒られたものの、検便のやり直しはなかった。
乾いた便でも問題がないのに先生が騒いだだけなのか、検便ケース代の経済的問題でやり直しがきかなくなったのかのどっちかとか思う。けれどま、今となってはどうでもいいことです。
2つの事件にも関わらず、オレは生活係をやめさせられることがなかった。
このことで後日また問題が起きるのだが、それはまたそのときに。
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入院や通院中のあらゆる時間潰しの方策に尽きたあなたへの最後の選択肢
<そんなあなたへの療養読本>
被災時のトイレ問題についての一考察
(まじめな方はおかかわりにならないほうがよろしゅうございますこんな話)
突然の震災・洪水・災害はいつやってくるか分りません。家屋が倒壊し車や野外の避難生活を強いられることもあります。
さしあたっての水と食料は一番大事。パックご飯、杵つき餅、そばうどんに乾麺、乾パン、カレー、シチューに豚汁などの
レトルト食品があれば心強いです。
魚肉やフルーツの缶詰などは家族で2週間分くらいの備蓄が薦められています。本当だと思います。それに畑や耕作地がない都会では白菜、
キャベツ、インゲン、ネギに芋、味噌、チーズにジャム、納豆なんかを常に冷蔵庫に余分量備蓄しておくといいと伺いました。
その他に寝具、照明、ラジオ、スマホ、ソーラー発電の充電器、石油ガソリン発電機、灯油ストーブ、コンロや大容量の水の容器。
簡易椅子とかベッドがあったら本当に助かると思います。
厚めの敷物があればもっと安心です。これらは自宅でも、すぐに持ち出せる場所に格納常置しておくといいですね。
災害のうち、水害や大規模の火災だともう、何もかも失われてしまいます。だから仕方がない、救援物資が届くまで頑張るだけです。
それでも最低限、非常持出しの3日分の下着に上着とタオル類を持ち出せたらいいですね。
傷の消毒液や絆創膏に包帯と三角巾は、あって邪魔にはなりません。レインコートにポンチョに長靴やつば広帽子もあればもっと助けになる
と思います。
トイレットペーパーはいくつあってもたりませんから普段から多めに備蓄しておきましょう。大中小のポリバケツとビニール袋に石鹸・シャンプーもあると
すごく便利でしょうね。
ペットが居る家庭ではペットフードの備蓄を考えないといけませんね。
生活の場として雨露を凌ぐ場所として、体育館などの施設があります。他人や家族に囲まれるのが苦手な人は
とりあえず自家用車で避難生活を送る方法もありますね。
さて、トイレの話。
普段あって当たり前、別に意識しませんね。けれども一人一日大小合わせて10回前後は使いたいものです。だからもう重要かつ必須の設備です。
とくに日本のトイレは良くできていて、
その気になれば飲水から洗面、身体や髪の清拭に、簡単な洗濯くらいはやって、できないことがない。だから、
本当にトイレ設備は欠かせませんね。
田舎の野っぱらの一軒家に居たならばあぜ道だろうが、小川だろうが、牛舎、豚舎にヤギ・鶏小屋でも、物置でも、
お隣さんの外便所でも用はたせます。
集団で施設に居るとそうはいかない。かならず行列ができます。待つのも苦痛、待たれるのも苦痛。
あなたがさんざ待った挙げ句やっとトイレに座れまして、さてっていう時にだ。次の順番のおっさんが、くそしてェ!、嗚呼!、オレはもう出てしまゥ!、
アアッ間に合わん!早く代わって、代わってくれー。
代われ!オイお・お前早く出ろ、出てくださーいなんて大声で騒ぎまくるかもしれない。待つ方だけではなく待たれる方の
感情的問題がでてくるじゃありませんか。。
早く代われ、出ろって言われたら、そういうシチュエーションだからよけい出なくなるものじゃないですか。とくに排便。
傍で騒がれたら今度はドアから出ていきにくいじゃないですか。しかし、そんなこんなを気にして排尿便しないまま出てゆけるものではありません。
意地もあります。見栄も恥もあります。
なに?あんた平気ですって?何言ってんの。
普通、人は便所の行列でやっと自分の番になり、ドアの鍵を締め、ヤレヤレと座れたとホッとしたのもつかの間。すぐに、前の方(かた)の温もりと雰囲気がなんとなく感じられます。
時には残念な残り香を交えた強い残留思念を残されて、ことのほか神経質になってしまうことだってあるはず。
あなたが便器に座っているすぐ前です。そこで、次の人がドア一枚のすぐそこに立っているのです、こっち向いて。このことを思えば、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、温痛覚ばかりでなく
ひょっとして味覚までもが超過敏になってしまうじゃないですか。
あらゆる感覚が頂点にまで研ぎ澄まされた状況で、あなたが小便音・大便音、屁音にトイレットペーパー引き出し音にウォシュレット水音
を抑制するためにはらう心労は計り知れないのです。
できればでていく時に「わたしはうんこもしっこもしていないの、はなかんだだけなの」って感じで後に並んでいる人の群れから静かに
離れ去りたいのです。
おもったよりすんなり、いつもの2倍とは行かなくても1.7倍程度が出てスッキリしたとします。たまたまこの方、
うら若き花も恥じらう乙女であってご覧なさい。
終わりました、トイレットペーパーなんか使ったかどうかも次の方にわからんように音立てず紙をそっと引き出すのです。
紙の切り口を引きちぎったままになんか絶対にしません。
丁寧に切れ目を整え、三角に折ります。ワタシ紙なんか使いませんものって感じですね。水なんかも指先ですこし触れたくらいなのよ、風に。
仕上げにお気に入りの香水をすこしばかり噴霧なさる。さっとドアをお開けになってから、お体を右にお躱しになる。
左の指を軽く伸ばした手のひらは上に向けて。
次の方どーぞ!なんて御手でひらりと入口をお示しになって・・・そのまま気高い終始になっていたのなら良かったのですが。
その方にそぐわぬほどの名残りの香りに体温の思い出が。
何食わぬお顔で個室からお出になられたのであったが。
代わって入っていった次の人が、ドアを閉めるやいなや何かにむせた様。苦しそうな空咳がそれに続き、なかなか止まらない。
それが激しい咳発作に代わって聞こえてきた。外で順番を待つ人たちは皆顔をしかめた。
外から分かるほどバタバタと激しく空気をあおる音。これが急に止んだが
はたで聞いていた人たちが、まさか倒れたかと心配するほどの沈黙。
息が止まりかけのみぎわ、内側からドアをドンドン叩いた。その音がとまったと思う間もなく真っ赤な顔してドアから外に倒れこんできた。
助け起こせば重症の呼吸困難。窒息寸前!
激しく息を吸おうとしているが、ついに四肢を痙攣させたかと思うと意識を失っていった。
後の人達がその前にでてきた女を睨みます。あんたどんなもん出してきたの?オレたちも相当くさいと思ったが。まさかどくがすとか、もうどくぶっしつかなんか出したんじゃないですよネって目をされて。
その上、知人も居合わせ、こんなになったことを知られたくもない人にも見られて。
現場に現れた警察官が聴取する声にも感情がこもる(お前便所でどんなものを出したんだ!)。
周囲に名前などがひびくので、お暇な拡散系ユーチューバーのカモにされでもしたら・・・。
あんたどーすんのサ。
もうこうなれば出す出さんのハナシではもはや済む話ではありません。デリカシー、羞恥心にモラルといった人間にとって
根源的に大事な尊厳の大・大問題なのであります。
外の怨嗟の声ばかりではなく何かの騒音、ときには犬やカラスの鳴き声も混じって聴こえるなかで用を足す方の心労も計り知れない
じゃないですか。
おっさんになら、お前うるせー、体育館の裏の崖の下に穴掘ってあるからそこで済ませてこい!なんていってやっても良いでしょう。
そうすると、オッそうすか、
じゃ遠慮なくイカせてもらうワでおっさんのうるさいのが済みそうです。
しかーし、これが花も恥じらうお年頃の娘さんだったらどうなるんです?あんた。列に並んで我慢しつづけて
ボーコーエンになっちまったらいけません。早く、
はやく出さないとイケないわ、わたし、死にそう!でも大勢に待たれている前で、そうそうはしたなく音立てて、
たっぷり出そうなものなら、そうそうそう思っても
出るものも出ません。普段からでにくいんだから。
あと一人ね、と思って振り返ったらおまえトイレに行くんだ?みたいな目で彼氏に見られたらどんな気になる?非常時ですから
男子トイレは女子も使えますって
いうので比較的に空いている男子トイレの列に並んでいたら、後ろに
運悪くMフクヤマさまが!すぐ後ろ。
おまけに目があっていたとしたならば、どうします?
順番が来て、ドアが5つあってそのうち3番目に入れて良かった。嗚呼っやっと出せるわ、なんて括約筋を緩めた途端。プー、ププッぷ、びービー!なんて溜めに
たまっていた屁を大音量で発しちまったとしたならば、だ。ついでにたまりたまった長時間異常発酵しまくったど悪臭をあたり一面に放散。
前後の個室にまで臭い漂い及んだならば、だ。
どうするんですか。
四番目のドアが開いて閉じる音。ちょっと咳払いが聞こえて。ベルトを緩める金属音、ああ、この方はMフクヤマさん!と分かってみなさい。
トイレの薄い壁一枚はさんだそこにあのお方。無言であなたの後ろで。あなたの方向を向いてしゃがんでおられるのです。
一瞬の沈黙、鎮まりかえった夜更けの仮設トイレ。
あなたも気がついつい緩み、沈黙を破ってジャーシャー、ブッップブリプリ、ジャバ・ジャバ・ビバ・ドゥーってしでかしてしまった、ああ~!
あのお方、根が優しい紳士だから、相当気を使ってこらえてくださってはいたのです。
が、とうとうこらえきれなくなったんだねえ。あからさまにワッはっはっは・・・コンサートの最高潮のあのお方がシャウトするような、こぼれる爆笑が轟き渡ったら。
どうするんですか。
Mフクヤマさんでなかったとしてだよ、
避難場所は狭い世界だからその後も毎日毎時顔を会わせるのです。都合よく自分だけがすべてを忘れたような顔もできないですよ。
あいつの結構クサイんだぜとかでっかい屁をこきやがったゼあいつ、
なんてノーコンプライアンスのアイツらコイツらに陰で言われたり。絶対知られたくない関係のあの人に聞かれ、嗅がれでもしたら・・・どうするんですか。
出せた後に安堵の嗚呼って声、出せます?できませんでしょ。
だから仕方なくおっさんが行った崖下の穴に向かいますな。そういう場所だったらフクヤマさんとかキムラくんなんか間違っても行かない。スギちゃんだったら居るかな。
だったら大丈夫だね。排尿音と排便音をいくら出したって。気になりませんからねえ。でもそのたびに野犬が吠えるかも。
まこんな話してもうら若き恥じらう乙女の便所問題は解決しないですね。
そういった乙女のトイレ問題にワタシは正面から取り組みたいと思っています。
まず、無駄吠えする大型犬を借りてきて一緒に連れて入る。大型犬がいない場合は吠え猿とか近所の大声出っ歯の年中しゃべくっているオバサンでもいいです、
一緒に入ってもらいましょう。ラジカセでロック大音量で入るっていう手も考えられます。
でもあんた、そういう事できます?人として。かえってそういうことするってこと自体、便音屁音小便音が大きいのではないかと
思われてしまいそうです。
いっそ、こういう遠慮をしがちなみんなですからもう、居直って。いい方向にもっていく方策。イベント競技化しましょう。
青年部とか商店街で“誰が一番大きい便所音賞”とか“屁音最高デシベル賞”とか、“香りで決めますトイレ女王”、“うなってきかせますお父さん賞”、
“男女混合大糞合戦(どんなことすんのかねえ?)”。一等商品トイレットペーパー2ロール。二等商品に尿漏れパッド1パック。
三等は定番のポケットティッシュ1個なんて、どうです?・・・ダメ、ふざけるな、もうやめろって、そうデスカ。
・・・・・
両側に誰も居ない個室で、どんなに屁をたれても誰も聞いていない、鼻くそほじりながらずっと気楽にしゃがんでいられて、
醸し出す匂いと音の
一大ページェントにも気づかれない。そういう天国みたいな仮設トイレがあったならどれだけ救われるでしょうか。
そうです、こうなるとですね、ワタシが考えた末、もうここしかない、ここが極楽トイレ!
知りたい?ではお教えします。
一押し、大砲をぶっ放しながら爆走する戦車の中!
じゃなかったら、空港の飛行機の離・着陸時。
それ以外、大手ゼネコンの工事現場。
ダメ?じゃあしょうがないなあ水族館はオットセイの給餌時間なんか狙って。
ネ。どう?・・・ダメ?やっぱり・・・。
とにかく・・・今回もなんとなくごめんなさい。
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<別刷り:戦慄の生活係4>
小学校一年生の夏休み前に朝顔の成育観察の授業があって、各生徒にはそれぞれの名札のついた植木鉢が配られ、
その植木鉢にはあらかじめ土が入っていた・・・ように覚えているのですが。
この"あらかじめ土が入っていた"にワタシはこだわりたいのであります。
どうしてかって?
第一にワタシ自身、植木鉢に土を入れた記憶がないのです。次に、もしあの頃に植木鉢だけが配られたとします。
そうすると、土を入れる作業が必要になります。この作業をしたとなると結構面倒くさい問題が起きていたと思うのです。
皆が言われたとおりに"ちゃんと"土を植木鉢に盛れましたならば、なんの問題もないのです。が、それが簡単に済むとは思えない。
それぞれが自分で鉢に土を入れるのです。必ず誰だれの土の量が多いがそれに比べておれの・わたしの土の量が少ないじゃないか。
悔しい・頭にくるなど、極めてわかりやすい"土争い"、つまり土の量をめぐった揉め事が不可避だったと思うのです。
そうです!生徒全員が先生に言われるがまま大人しく、全員の植木鉢に土が均等に配られることは奇跡でしか起こり得ないのです。
“土争い”なくして土配りが終わるはずがありません。かならず植木鉢の縁から土がこぼれるほどのてんこ盛りでニヤニヤしているやつがでてくる。
一方、底が見えそうなほどわずかの土しかいれられなかったので、軽い鉢を抱いて教室の隅でメソメソしている子もでてくる。
作業中に噛みついたり、髪を引っ張ったりの紛争に巻き込まれたり、紛争のもとになった子どもも何人か出る。
顔中土だらけ、上着真っ黒、上履きに土が入り、教室が泥の足跡だらけ。こういった騒動は絶対に避けられません。
翌日になってだれそれのがたっぷりなのにうちの子のは少ないのはどういう訳なの?なんて先生に苦情を言ってくるおカーサンもでたはずです。
ところが植木鉢の土の紛争記憶がまったくない。
今思うと、それは先生の方で、あらかじめ土入りの鉢を用意し、紛争予防に心を砕いた結果のことだと思う。
だからはなたれ小僧のありがちな土混じりの黒い二本線の記憶もありません。だいたい先生に叱られた記憶がない。
当時の記憶が次の行程の種まきまで平穏のうちに跳んでいるから、土があらかじめ入っていた、と思っていいでしょう。
道端にピンクか白の4センチ程度のラッパのような花が季節になるとたくさん咲いています。
おしろい花だと聞いております。この花の付け根を舐めると甘いとか言われましたが、実際はそうじゃなかった。
配られた朝顔の種はこの種と同じくらいの色と大きさでもっと角ばっていたと記憶しています。
自分の植木鉢にこの朝顔の種を4-5粒の撒き、土をかぶせて名札を立てる。そうして教室の後ろに並べました。
毎日水をあげながら朝顔の成長をみなで見守ろうというのです。
種を撒けば、芽がでるのがワクワク待ち遠しいのであります。それがなかなか出てくるものではありません。
しかし、あの頃のこどものアタマだと、すぐ出てくるように思えるのです。
オレの植木鉢は最前列の左から三番目だった。種を撒いてすぐに芽が出るわけがないけれども、"早く芽をだせ柿の種"。気になった。翌日も見つめていてなんにも変わってこなかった。
三日経ってもほとんど変わりがないので見るのに飽きてきた。
五-六日もしたら、関心が薄れ、やがて植木鉢と種まきの記憶自体が消え失せて水もろくすっぽやらなくなった。
九日目の朝、誰かが小さな緑が点々とでていると騒いだのですっ飛んでってわが鉢を見たら、たしかに1ミリ程度の丸い緑の点々があった。
当然、周りの芽と比べた。うん、まあ似たようなもんだと安心した。
2週間もすると茎に小さな葉っぱがマイクロの傘みたいでワクワクぞくぞく。もちろんおれの鉢にも3つほど葉っぱが出ていたから安心した。
3週間目、周りのと比べて右最後列のサトウくんのがおれのより茎が長くみえる。ちょっと曲がっているけれども、ひょろっとオレのより明らかに長い。
指でいうとオレのが親指長だとするとサトウくんのは中指長だ。これは気になった。
負けてるじゃないか。その日の下校時にオレのだけに水をやって、サトウに負けるな!と応援して帰った。
次の朝一番でみたら、ホシノさんのがサトウくんのより背が高いことに気づいた。オレのが負けているようで気になった。
周りを見回したら、誰も居ない。それでオレは、ホシノさんの芽3つをやさしく引っこ抜き、オレの芽も3つ引っこ抜いて植え替えはじめた。
オレの植木鉢から引っこ抜いたその場所に指でズボと穴を開け、そこへホシノさん鉢から抜き取って来た三本を植え込んだ。
ホシノさんの植木鉢にはオレの芽をグサと植え込んだ。その日が土曜日で、一日開けた月曜の朝、なんとオレの植木鉢の全部の茎が弱って黄色っぽく変色し、
曲がっとるではないか。一方、ホシノさんの方は三本皆が倒れて乾きかかっていた。サトウくんのを見たら、なんと、おれのより背が高く元気そうになっており、
双葉にもう一枚の小さな葉っぱさえ生えてきていたのだ。その隣のサクライくんのもそこまで行かないにしろ双葉が生え、オレの朝顔より育ちがいいのだ。
小学校1年生の頭でオレは考えた結果、オレは植木鉢の朝顔の苗全部を、サクライくんのと取り替えてやったのだ。
いきなりクラス一番で成長しているサトウくんのと取り替えると目立ち“犯行”が露見することを恐れたのだった。
その程度の考えは、小学校1年生のオレの頭には浮かんだのだ。
それまでどーせダメ!コイツのなんか絶対花咲くまで持たん!とまったくノーマークだったハラダの植木鉢を見た。なんかおれと同じ程度の生育状態だった。
やるじゃないかと思ったが、ハラダの植木鉢の近所の苗全体が貧弱に元気無くなっていた。
とっさにおれは、多分ハラダのやつ隣近所の苗と見境なくとっかえている!って分かった
。ハラダのやつ、洟垂れあほだから引っこ抜く際に指で強く茎を掴みすぎて潰したんだって、同じ洟垂れのオレはすぐ分かったのだ。
ハラダも同じこと考えとるのだ!ただ、オレの苗だけには手をださないようによく言っておかないといけないなと思った。
そこのところへハラダがニヤニヤしながらやってきた。まさかお前、オレのととりかえようなどと思っておらんだろうな!
もしそんなことしたら、ハラダお前の苗どうなるかわからんぞ、なんて因果を含めたらハラダがやらんって笑った。
じゃ、帰ろって、二人一緒に教室を出て、廊下を走るなと書いてある貼り紙を横目に、二人で下駄箱まで走った。下駄箱の右手の校舎の奥には保健室があった。
おいハラダって言って、保健室に向かった。気持ち悪いがみたくなる回虫!サナダムシの絵を二人でじっくり見てから、帰った。
土曜の帰り道で松下の家に寄って、松下の兄ちゃんが買った少年キングを回し読みしようと思った。
松下がブリキ枠の木のコマに糸を巻き、水平投げで宙を泳がしてから左手のひらで受けて回してみせた。
オレにとってはそれくらい簡単な芸だ。オレはランドセルの底から鉄ごまと絵の具の蓋をとり出した。
見てろって、鉄ごまの紐をきつめに巻き、右手で斜め下方向に放る。手応えで巻きがあと半分のこったあたりで紐を強く引くのだ。
凄まじく回転するこまを身体に引き寄せ、その鉄軸を左手の絵の具の蓋で受けて回す。鉄ごまは静止直立してギューンと唸り
他のこまでは考えられないほど長い間回転し続けていた。
鉄ごまはリキがあるなあと松下。それもそのはず、オレは近所のコマ回し名人のジュン兄ちゃんに教わって相当の練習を積んでいたから。
鉄ごまを受ける練習には最初はせんべいの蓋を使う。それで受けられるようになったら今度はエビオスの蓋にする。その次に養命酒の蓋で練習する。
手のひらで受けてもいいのだが鉄ごまだと結構痛くて熱い。ここまでくるともう、絵の具の蓋でもなんでもすぐに受けられた。
ジュン兄ちゃんは、電線に引っかかった凧を回収してくれた恩人でもあり、すごく尊敬していた。ある朝、ジュン兄ちゃんは家の外で歯磨きをしていた。
オレはそこの広っぱで足をつけたばかりの龍の字の凧揚げを始めていた。あまり風がないので走って糸を引っ張る。
そのうち中途半端の高さに揚がった凧が電線の向こうに失速墜落した。オレが電線のこっちで凧が電線の向こう。糸を引っ張ると凧は上がるが電線で引っかかる。
糸を緩めるとたこがあっちへ落ちるわけだ。見かねたジュン兄ちゃんが歯ブラシをくわえながらこうすんだよって、手持ちの方の糸を歯で切ったのだった。
凧は電線の向こうにストンと落ちた。兄ちゃんが切った糸を結んでくれた。考えてみれば当たり前だが、オレにはジュン兄ちゃんが天才に見えた。
その後、オレも凧揚げとかコマ回しで困っている年下の子がいたら、歯磨きをしながら助けて尊敬されたいと思っていたが、そのチャンスはなかった。
松下んちで、ハラダのやつは洟をすすりながらサイボーグ009に熱中していた。ハラダは凧にもコマにも興味がなくて、どっちも下手だ。
オレは結構うまい方だったが、踏切のそばの金本くんなんかは、両手で持った紐の橋を何度もわたらせるんだから、すごく上手でとても追いつかないと思った。
金本くんの兄ちゃんは空気銃の名人で、学校前の自衛隊官舎の一階建ての屋根の上にとまっている雀なんか一発必中で落とした。
いつか同じ自衛隊官舎の屋根に登って瓦剥がして雀の卵を獲ってきたのを見せていたら、可愛そうだから返してやんなって言われたんだ。
一応年上のにーちゃんの命令だからって返してきた。そうしたら、そのかわりにって、すごくかっこいい針金のゴムでっぽうを作ってくれていた。
こいつで隣の猫とか撃ったら、当たってぴょんとはねて睨んだ。もちろんハラダの頭も撃った。でも輪ゴムだから痛くないので、やめろーって言うだけだった。
さて、土日を挟んで月曜の朝、植木鉢を見たら全体的におんなじようになっていた。
ホシノさんやサトウくんのと、ハラダの周りのだめになった植木鉢のもどういうわけか、ツルを伸ばして真ん中に刺した棒に巻き付いて、
中くらいの大きさの葉っぱに小さい葉っぱも元気そうになっていた。こうしてみるとどれも同じ感じになっていたから、
オレとハラダはどうしようかな~と思った。
それでもなんとなく、右手の校庭側の窓の光がはいってくる側の植木鉢の苗の生育が結構い良いじゃいかってことに気づいた。
それで、どうしようとおもったのだが、おいハラダ!こっちのほうがツルが長いよなと言ったら、そうだなと答えた。
ツルが巻き付いたら根っこからぬくわけにはいかんなーと二人は気付いた。でも自分のだけは一番ツルが長くなければ気がすまない気がしたのだった。
オレはハラダを見て、名札を替えて植木鉢ごと取り替えちまえばいいんだよなって言った。
ハラダはオレを尊敬しながら、じゃオレこれなって鉢を取り替えた。
おれも一番ツルが長いのと交換した。
帰り道、橋の上から唾をたらして流したのを追いかけながら田柄側を下った。
途中、草むらから手のひらくらいのショウリョウバッタがとびだしたのを捕まえた。
ハラダはなんか茶色っぽいトノサマガエルを捕まえた。それで下流の宮本のうちに行くことにした。
宮本のうちは普通の家だったが庭に柿の木が生えていて、
ロープを枝に引っ掛けてターザンすると気持ちよかった。それにばーちゃんがときどき干し柿なんかくれたりするから、ハラダも賛成。
宮本んちで夏休みにテレビでやっていた狼少年ケンの話で盛り上がった。
バッタとカエルは明日学校に持っていこうかと思っていたが宮本んちの庭に棄てて帰った。
小学校入学から日を追うごとに遊びで忙しくなってきたし、おれもハラダも朝顔の手入れが面倒くさくなってきて、
朝顔なんかどうでも良くなっていた。
夏休み前、朝顔の植木鉢を家に持ち帰り観察日記をつけて二学期に提出するという宿題がでた。
夏休みに入るまで、みんなの朝顔が同じ生育状態になるように先生がいつも面倒をみていたのだった。
まあ、その時までにはおれもハラダも朝顔への興味は完全に無くなっていたから、そうだったんですかって聞いただけだった。
二人でなんとも無駄なことをしたものよ、と今だからそう思うけれど。当時のふたりはいたく真剣だったのだ。
その後朝顔がどう咲いたのかなど、全く記憶にない。確か、成育日記は8月30日に真面目なイナガキのを写して出して済ましたのではなかったかな。
もし会えるものならハラダに聞いて確かめてみたいが、今となってはもう会うこともないだろうから。
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皆さんご存知、当医院事務のジムチョの実家は大富豪。茅ヶ崎3000坪でお隣があのトクミツさん。近くにゴーさんの三階建てもありますが所詮他所者の新築と陰で不相応に言われておるそうです。
旧家名門の出だとは言っていましたが、聞けばもともと鍋島藩油奉行の末裔。お母様も鍋島藩家老の家から嫁いて来たかた。富豪かつ代々名士の家系で何不自由ないお育ち。お父さんヨットで、休日には江の島、三崎、大島こえて、新島、式根、三宅島まで行くこともたびたび。そう言えば青ヶ島沖でカジキとかヒラマサを獲ったのをあげたよねってあとから恩着せるように言われるんだけれどももらったって、アジの干物1枚、わかめ半束にたこせんべい一枚でしたよ。
ヨット遊びはジムチョが高校性ぐらいのときが一番海にでたネ、とか言っとります。当時イシハラ兄弟のおにーちゃんのヨットに乗せてもらったこともあるそうで、ヨットの自作なんか一緒にしたって。小型船舶操縦士免許の1級小型船舶操縦士免許をとったから、航行距離無制限で、20トン未満のプレジャーボートやヨットも操縦できたのです。
ジムチョは、高校時代はヤンチャのし放題。今の髪型(ほとんどはげとる)からは信じられないようなリーゼント。ヨコハマ金蠅がジムチョのその時の髪型を真似したとのこと。
ある日、ジムチョがお父様のマセラッティを黙ってガレージから持ち出そうとしました。
超大馬力のすっごいレーシングカーですから、運転に慣れないジムチョがチョークを二発スッコンすっこんしてあと半分カッコンとやって
イグニッション入れました。それでエンジンがかかった。そこでニュートラルでアクセルを軽く踏み込んだら一気に10000回転毎分まで上がり
まくった。そういうところにいきなりジムチョがローギヤに放り込んだものだから。そのまま邸内の道路を疾走ダッシュ。
一瞬で敷地の西門で時速84km/時を叩きだした!運悪く、近所のたまバーさんがシルバーカーにすがるようにして西門の外を通りかかった。
ああなんてことだ、轢かれてしまった!バーさん吹っ飛び、お隣のトクミツ邸の土塀にめり込んじまっただ。そのまま身動き一つない。
折しも強い日差しを浴びて、たちまち平べったくなった身体が干上がっていく。もともと痩せぎすのたまバーさんだったから、
血の一滴も出ず、半時の間に体表面から塩を吹くアジの干物状態になったという。
とにかく、吹っ飛んだそのままの格好で土塀にめりこんだまま。あたかもドイツのフンボルト博物館所蔵の始祖鳥の化石のようだったと、
目撃したタケダさんから聞いたこともあるのです。
その後、どうなったかって?ジムチョは何食わぬ顔でマセラッティを置きっぱなし。
口笛吹きながらその場を去ったというから、なんという人でなしなのでしょう。
何食わぬ顔でお父さんのランドクルーザーに乗り換えると、横浜横須賀道路から第三京浜、環七をまわって加平にいたり、
一般道に出て交差点を南に降りて足立の白鳥のアパートに行ってそのまま3週間帰らなかったという。
事故から三日目の夕方。たまバーさんの家族のサブローさんがジムチョの邸宅玄関に赴きました。
応対にでたジムチョのお母さんに土下座して急に謝りだした。うちのバーさんがおたくの西門の通りなんかを通っていたからイケンかった。
すんまへんこってす。ジムチョさんのあれ、マセラッティば、傷つけちまって、こんくらいで済みますろうか?お受け取りください。
って250万円の札束を、山吹の真田紐で結んだ紫の房で差し出したって。それで、サブローさんの口上。
あれから家の者皆で壁からばーさんを掘り出したのサ。そんで自宅に運んで、風呂のぬるま湯で戻しの。
それが効能がエー沸かし湯だったんだなえ。それもジムチョさんから一昨年いただいた、
あの特殊入浴剤のばすぼんってのがたまたま入っていたからって、のう。あれが効いたんだねえー。
40分もしたらバーさんだんだん膨らんできて、風呂から一人で出てきたヨ。
タオルでがしがし頭を拭いて、タレパイしごいて雫を撒きちらしたのサ。次に顔をグルグル拭いて投げ捨てたヨ。
バスタオルに持ち替え、両の手でひろげ、宙に振り仰ぐと一気に勢いよく振り下ろした。
バスタオルが股をとおって尻と背中までパンパンと小気味いい音させながら届くこと五、六発。
そんで、部屋着にスッキリ着替えたばーさん、三杯飯かっこんで寝付いたって。
おかげさんで翌朝から妙に元気とりもどしたネ。なんてっか轢かれた後に壁にピッタと埋まったおりにですね、
あっちこっちの緩んでた関節がもとにもどったんでしょー。信じられないくらいピンピン元気になりよった。今朝方なんか、走って踏み切り、
バッと4.5mばかり向こうへ跳びよる。それは昨年マスターズ85歳の陸上の記録4.25mを超えたもんで、
やーおたくのジムチョさんがよくぞアタシのこと轢いてくだしゃった、お礼を行ってきなさいなんて言われて。で来ましての。
って、後ろの家人から相当の品々を玄関に積み上げていったとか。そんなに謝り、感謝されたもんで、ジムチョのお母さんの寿恵子さんも、
まあまあうちのせがれもたまには世間様のためになるようになったんだね、と自ら涙をぬぐいたまふ・・・。
もともと江戸の頃、茅ヶ崎村では、家族の一人ふたり、地主の息子の馬車に轢かれても、ありがたいコッタけんど、
轢かれるぅはこっちが悪い、堪忍しなさいというような不文律があったとか。言い伝えでは地主に轢かれて三年、
柿八年なんていうことわざまであったって。さらにー、「お殿様にはなりよがなくとも せめてナリタやババ様ほどに~」などどいう俗謡もあり、
ようするにババ家のバカ息子に迷惑かけられても、犬に噛まれたものと思えというような(どアホな)決め事があったとか。
そんなジムチョ~が60歳も過ぎれば少しは落ち着きましたか。茅ヶ崎の自宅のヨットハーバーの改築をしようなんて思いたったのです。
お父さんの代に一度、ババ家専用のヨットハーバーの西ガントリークレーンの増設をしかけたことがありましたっけ。
クレーンがもともと港の入口の東に一基あるのですが、艇長が18ft長のを買いたした際、もっと大きめのクレーンが必要になったのと、
クレーンを西に設置すると、吊ったヨットが東から見えて、その際に丁度富士山がバックになるっていう、
つまりばえが良くなるなとお父さんが思ったのでした。
ところが、その基礎工事の際に鎌倉時代の遺構が発掘されてね。地元教育委員会の調査が終わるのを待つことおよそ6年かかりました。
ってことは6年工事が延期されたってことですヮ。残念な一方、新田義貞が稲村ヶ崎で投ぜし刀剣の一部や北条守時愛用の靴
、お襁褓なども見つかったとか歴史的貢献があったのだからまんざら無駄ではなかったのです。
発掘で中断した馬場家の自宅ヨットハーバーの改築の際に、注文していたガントリークレーンをあのカヤマさんの葉山マリーナに
一時預けていたのが、置きっぱなしになっていたんです。それはその間にジムチョのお父さんが先に、後を追うように
お母様の寿恵子さんがお亡くなりになられましたからです。昨年の秋のことです。
そんな折、BSで東京オリンピックのヨット競技をみていたジムチョが俄然自宅茅ヶ崎のヨットハーバー改築を思い立ったのです。
まずはチガサキ建設に電話で依頼。それがなんていうことだ、今回もまた工事に先駆けて行った予備調査で、
古墳時代から奈良時代はじめの遺跡がざくざくと出てきたから困ったもんダ。古墳の棺中から黄金のマスクや馬具なども出土。
それが大刀の刀身の表裏にジムチョの代々のご先祖様の銘と朝廷への貢献業績が必要以上にいじこく刻みこまれていたのが分かったわけです。
銘文から子孫のジムチョの私物とはっきりわかるから、すぐそのまま所有が許されたってわけです。
そういった遺産が全部で時価17億8500万円に登ったと地元湘南スポイト誌で取り上げられたことがあるとか。
その際、ジムチョがこれ以上裕福になりたくないジャーン、などとさも憎ったらしく28度のけぞらした下顎を目一杯前に突き出してみせた。
その時の目が上三白上目遣いで、眉が下弦の三日月になっとった。そういうふやけにやけた表情で、
ホザきやがっている写真が湘南スポイト誌に掲載されたのは知る人ぞ知るぅ。
そうか、そんなに要らないんだったら俺によこせ、といんちょーが口出し。そう聞いたらば、本来の生来が小物でせこいジムチョが、急にこれは馬場家の文化遺産だ、子孫の俺が守りぬくべしとか前言を簡単に撤回。
そういういやらしいさもしさを露呈するジムチョをひどく軽蔑嫌悪したインチョが、よーし、やったろうじゃないかと息巻いたネ。
どーしてやるかというとだな、まーずお前の祖先の古墳を暴く。その遺骨を下赤塚に運び込み、適当に組み立ててやるのだ。
わざと恥ずかしいポーズをとらせた遺骨を旧川越街道沿いの北町三丁目西バス停の真ん前で展示公開してやる。
しこうして見世物にいたせし遺物にて、馬場家の恥を世界へさらそうぞ! と言い放ったり。
かりそめにも己の祖先の財宝を守り抜かんとするジムチョなれば、連日連夜茅ヶ崎香川の自宅玄関に松明を終夜焚きつづけ、兜、甲冑に
身を固めインチョーの攻撃に備え万全として迎えおったり。
インチョー、甲賀忍者の装束(めりかりで3.845円、フリーサイズなのにやや小さめだがそれしか検索してもなかったから仕方なしの黄色の)
に身を固め、本当は伊賀の影丸みたいな格好が良かったのうとかブツブツつぶやきながら下赤塚から平和台、練馬から吉祥寺、
さらに三鷹、府中から一気に鎌倉街道を南下して茅ヶ崎までなんと忍び足で至った。その時の出で立ち、
見た目もキツめのパッツン忍者装束にて十字手裏剣を右懐に隠し、右手(めて)にはスコップ、左手(ゆんで)に熊手
(やべーオークションでひと揃いが2.280円で送料350円)を持ち、背中につるはし(同870円)、
朝もはよからカンテラ(好月山荘で6,800円、高い!)下げて、ババ家の外堀、内堀を息を切らしてはぽかりすえっと飲みのみ、
柿渋塗りの団扇(あまそんで買った、3,800円とムッとするほど高かったが送料無料だったし、後で浅草でガイジンに4,200円で売れるだろう)
で胸元を扇ぐこと幾度か。やっとこさ大手門の土手の上にたどり着く。門の右側よりよじ登る。塀の瓦伝いに東から南へ。
湘南海岸方向の丘の馬場家の墳墓に忍び寄った。
インチョーがここまで甲賀忍術の秘術を尽くし馬場家の財宝を狙い、馬場家に一矢を報いんものと頑張る理由が3つ。
ひとーつ、せんだって事務チョ~がインチョの金魚を殺したことを恨んで。
ふた~つ、単純に馬場家の財宝に目が眩み欲しい、うらやましいから。
みっつ目が本当の理由だ。よく聞いておけ。
それは今を去ること912年前、源氏の名門茅ヶ崎の香川の馬場文次郎左衛門が、
房総の平氏潮来の平野伊太郎右衛門が利根川沿いにて大利根月夜をきもちよげに唄いしを聞き及びしに、その歌下手であるなどと言上、
その場にて大笑い、はずかしめたばかりか、そのくんだり、和歌にて詠みしを、
おせっかいにも文にて京の女御あまたから衆生に伝へひろめよるによって(むやみに不特定大衆に拡散したってこと)、
平野伊太郎大いに怒る。
伊太郎、得意の剛弓に唾ペッペ塗りたくり、胴に家名も鮮やかなる鏑矢をつがえ馬場文次郎を狙って一気に放ったり。べべべべ、ベン!
折しもその場で、などか他にする事もあろうに文次郎、足元の蟻の這い出る穴などに気を取られじっとのぞきおるとか。
伊太郎から見えしは、なんとも無防備なり馬場文次郎左衛門の尻。肛穴、鏑矢の跳びくる方向にまさに向けられており。
平野伊太郎右衛門の放てし鏑矢、ナム八幡大菩薩、ナスの余市も真
青、まさに馬場の肛穴に突き当たらンと勢いも盛んに翔び来る。べべ・べ・ベン
ついに鏑矢、馬場文次郎の肛穴に突き入った!
刹那、馬場文次郎盛んに屁を放ったり!
鏑矢肛穴入口に達せしが、直腸目前にして押し戻されぬ。
ムムム、これを見て平野伊太郎右衛門歯噛みして悔しがる・・・・かくなる遺恨かならず子孫末代が必ずや果たさずにおくべきか・・・
・・・ここで丁度時間となりました。おあとは皆様のご要望次第
・・・しっかし、いくら猛暑が続いてやる気ないにしてもあまりにもひどい
ほんとサイテー、くっだらないのができたのう!すみません
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【ひさびさの"うるさい"はなし】
この暑いなか良くいらっしゃいました
いきなりなんですが、うるさい話させていただきます
ある場所で・・・
予報をみて夕方になったら涼しくなるだろうなどとたかをくくっていたが、灼けた屋上からの輻射熱が屋根を貫き滲みこんで熱い暑い。
連日屋根にたまりまくった熱エネルギーが天井を伝わってくる三階の部屋に蒸し暑さが淀んでいる。ダラダラ汗が流れあまりの熱気にくらくらしている。
そんなワタシの、右隣の建物の同じ階に二週間前からロックンロールが住み始めたのだが、コイツらこの暑さの中大音量・大声でわかんないコトバで歌いまくる。
左隣の建物の三階からはいつもの念仏がピッタリ朝と夕方の小一時間聞こえてくる。
その上、久しぶり。どうしてだかわからんが、またあのメキシコ人五人が建物の前に集まってきたね。
やっぱりラ・マラゲーニャって合唱し始めたんだ。
見たくもない。嫌だな、目があっちゃったヨ。ソンブレロでドンゴロスで鼈甲色のギターを掲げたちょび髭おっさんが
左眉だけクイクイッと上げて、"濃い"眼差しをおれに熱く送って来る。
イケナイ!無視!来ないでと強くつよく念じてみたのだが。やはり又前来たときと同じだ。そんなハメになった。
いつの間にか五人がそろって部屋の戸の前に立って居るのだ。
そしてこの暑いなか、頼みもしないのにラ・マラゲーニャとラ・クカラチャを何回もなんかいもかわりばんこに唄い続けるんだ。
ま・らげーーーー・・・って裏声で伸ばす伸ばすときにちょび髭おっさん、左眉をつり上げ、濃い眼差しで、左口角を上げてニヤッとする。
しっかり締めたはずの戸の隙間から唄声を吹き込んで来るんだ。それで金をせびる騒ぎまくる。ホントは1000円出せばすぐに消えるのを知ってる。でもおれにだって意地があるんだ、やらん。
そういう変な習慣をお互いの間でつけたくないからナ。おれもメキシコ人もインディファレントイーチアザーでいるべきなんだからな。
そんなこんな不快に耐えているところへ、前の路地の子沢山宅で一日中ガキが泣きっぱなしなのに気付いた。
一番暑い午後二時から毎日年中1日中夫婦喧嘩!
女将さんが旦那を何語がわからんがとにかく怒鳴りつづけてる。多分旦那が悪くて奥さんが正しいのでしょう。
おれとしてはこれだけ暑い中、怒鳴られる旦那の肩を持ちたい。
あっ、どうして?メキシコのすぐあと、補聴器の振幅制限回路と増幅回路への雑音混入で回路の干渉でピンピーンキンキーン雑音が鳴りっぱなしの老人が、いきなりたずねて来たヨ。
何で鳴るんですかって、おれ補聴器屋じゃないのに!多分電池切れでしょって親切に何度なんども説明するのだが、ほとんど聞こえないから、エー?エー?って、おいそれと帰らない。
おれの鼓膜にピーンピーンこだまが小一時間、消えずに反響していた。
台風と小笠原高気圧が重なり気温が39度に達し湿度が75%の不快指数極まる中、ご近所でもよく知られたマンション二階の虐待犬が
朝から1日中吠えつづけるんだ。可哀想を通り越して、飼い主どうしてんだ!って怒りが燃えあがる。うるささに憎しみが混じってくる。
あまつさえ、川越街道を暴走オートバイ6台がエンジンギャン・ギャンバヒーン、パーン。
けたたましいのが何台もなんだいも通っていって単純にうるさい。
パトカー7台がサイレン鳴らして追い掛け回す。止まれ止まれと拡声器で怒鳴る追っかける。タイヤが滑る、ブレーキが鳴る。
バイク二台がこの建物の周りをぐるぐる回りやがってお上をまこうと逃げ惑い、複合的にうるさい。
そんなこんな中、一体なんだ?何が起きているんだ!・・・ビルの屋上の柵にカラスとペリカンがそれぞれ18と23羽がぎっしりとまって
勝手に鳴き騒ぐ。カーカー、ギャー、パフーんバフーチョパッとか、身体と耳に馴染まない鳴き声で手におえません。
それに向かいの桜の大木の一番高いところあたりのムクドリ820羽が、カラスとペリカンとの縄張り争い、ギャーギャー。
えー?犬よりでっかいじゃないか、何だと思って見たら、こんな場所で、NHKの教育番組でしか見たことないぜ、あれは。
吠え猿の群れじゃないか。向かいのビルの屋上に集まって顎下の袋を膨らまし縮め、まったく今まで聞いたことがない騒音だして吠えまくってる。
それからなんだ!なんだってんだ!オレの部屋の南の壁にミンミンゼミが5匹もへばりついた。いきなり鳴きはじめたがホント耳障りだぜ。
これ以上なんだって居直ってみたところで、今度は北のお屋敷の大木にキツツキが穴をカンカンカンカン開け始めたね。
なかなかやめるもんじゃないからあたまズキズキしてきた。何?大ゲラが三羽だって。北海道や白神でもこんなに一緒に見えないぞ。
それにまた、何だ。南の中古車販売店の5000ccがエンジンカラふかし始めやがった。音と排気もたまったもんじゃない。
いつのまにか一階の前の通りで道路工事の掘削工事がダダダッダダダッって始まったし。もともと西のビルの解体工事が真っ盛りなんだ。
どうにでもしろと空を仰いだら、自衛隊のヘリコプターが8機、編隊でクールクル、バタバタばたばた止まらねえ。
そこに、辺野古でみたことがあるようなオスプレイまでが押しかけて来たね。おれは相当運が悪いなと嘆いたが。
道一つ向こうから賛成党と改心党の選挙演説が来たよ。あれ絶対ここに来るよなーと思っていたらやっぱり前に来て演説合戦を開始しはじめた。
何でこんな目に合わなにゃならんのかと悩んでると嗚呼、口うるせー親がピンポンして入ってきたし。
どうですこんなにうるさい目にあったことある?あんた
<別刷り:戦慄の生活係1>
ねーちゃんがぎょう虫検査に引っかかった。学校から帰ったら、女の子なので恥ずかしいという親の配慮で、代わりに弟のワタシが保健室に薬をもらいに行くことになった。
小学校三年のときだ。陽性のピンクの紙の裏側にぎょう虫について簡単な絵と説明が書いてあった。
虫って名前がついているので、なにやらすごく恐ろしげな怪虫の姿が頭に浮かび、ゾクゾクわくわくした。それでいつになく、説明書をおもしろ半分怖さ半分で、
熱心に読み込んだのだった。
すると、他のことはともかく、ぎょう虫のことだけは説明書の内容がスッポスッポすきまだらけの頭の中に入った。
ついには解説全体をソラで暗唱できるまでに少年の脳は目覚ましい成長を遂げた。
まず、ぎょう虫は朝こどものコーモンの周りにでてくるのだ。そこで卵を生む。子どもはケツがかゆいから素手でコーモンを掻く。
すると指の爪の間にぎょう虫の卵がくっつくのだ。手をよく洗わないでご飯を食べると口から卵が入ってくる。
卵がからだの中で孵って親虫になってあちこちへ移動!それから朝コーモン周りに出てきてその卵を産むからケツが痒くなるのだ。
そこを手で掻いた指に卵がくっつきご飯と一緒に口から入って・・・というなんとも言えないサイクルが衝撃的でゾクゾクわくわくした。
こういうことを知ったからには他の人に教えないでは、とってもいられないじゃないか。
それまでとってもサエない生活に埋もれていた、けなげな一少年の錆びた心はギョーチューのおかげで輝き、浮きだったのです。
そのけなげな小学校三年生のワタシは、ぎょう虫検査が陽性って書いてあるピンクの紙をしっかり握りしめ、
学校に向かった。
家を出てすぐ、一年下でケンカが弱いトシヤスともっと弱っちい弟のコウタがどこへ行くのと聞いたから、
ねーちゃんがギョーチューになっちまった。どーしてかというとだなー、とピンクの紙を目の上の高さまで持ち挙げ、いちいち絵に指を差しながら丁寧に解説したのだ。
さきほどのギョーチューの一生の顛末を語りきかせたのだが話しているうちに結構楽しくなってきた。
そのあと、坂を降りた角を曲がったらハセガワくんが、どこ行くんだと聞いたから、やーねーちゃんがぎょーちゅーでね、
なんてまた解説を始めた。今度は地面に絵を描きながら説明し始めた。すると小林さんちのケーコちゃんがいもうとのマキちゃんと来て、
この話を聞いた。オレ、なんか嬉しくなって、そこでわからんけどケツがどのように痒くなるのか、
指の爪にこーんな卵がついているんだとか嘘っぱちなんかもつけ加えたりしたから、話がだんだん面白くなっていった。
その後、旧川越街道に出て、同級の自動車修理工場の次男のセキグチくんの家の前に着いたから、そのまま玄関から上がって、おいセキグチ、
ねーちゃんがぎょーちゅーになっちまってねー・・・なんて語ることかたること。ひとしきり。
ここまででオレ、すっかり気持ちが良くなってきて、不思議な高揚感に包まれていた。
セキグチんちを出てちょっと歩いた病院の向かいの大判焼屋の裏が同級のヤシマの家だった。塀から中を覗いたら、ケンジとにーちゃんがいた。
塀の横板の隙間から顔を突っ込んでオーイって呼んだ。この板の隙間から雑種のラッシーが簡単に出入りできる
くらいベコベコになっているんだが、その板の間から、ねーちゃんがぎょーちゅーになっちまって、代わりに学校の保健室で薬をもらってこなければならないんだが、
ギョーチューってのはこんなに怖いんだとか、嘘八百もりこんで話しこんだ。それで、どういうわけか寄生虫の凶悪性にぎょーちゅーの顔真似、
ケツから血が出て苦しむ様子や、運が悪ければ死んじまう・・・など付け加えた嘘も語り口も想像以上の洗練と向上を遂げてしまっていた。
ケンジのにーちゃんなんかうんうん、うなづいて、よく手を洗わなきゃいけないなあなんて言ってさ。オレ、結構イイコトしているような気になり有頂天になった。
そこから学校への曲がり道に入ってすぐの駄菓子屋の前に来たら、何人か知っている子たちがいたから、
おいお前らギョーチューって知ってっか?って、話はじめた。
この時点で自作のギョーチューの顔真似、ギョーチューに苦しむ顔から、ギョーチューで死ぬ瞬間までを、なんと声色を変え情熱的に演じるくらいになった。
駄菓子屋のおばさんなんか、みんな食事の前には手をよく洗わないとねっなんてちょっと震えているようだった。
そのあと、本屋さんとかコタケ精密光学の子たちとかにも一通り語った。そのあと、学校北の田柄川の橋のたもとの文房具屋のイトウくんちでも
ひとしきり口演をした。これくらい語り続けると結構疲れを覚えた。だから、もうそこからはまっすぐ保健室に向かった。先生に、ねーちゃんが恥ずかしいっていうんで、
代わりに薬を取りに来ましたって言ったら、保健室の先生がエライわねと言いながら白い袋に入れてくれた薬がポキールって読めた。
これは黄色いセロファンに入っていて、薬全体は思いのほか軽かったことを不思議に覚えている。
保健室前の廊下の壁にトラコーマとサナダムシの強烈な天然色の絵があった。
それに見入っていたら、保健の先生がいつになくやさしく説明してくれた。おれはその話も皆にしなければとならんと思ったのだったが、
家に薬をもって帰るまでにそんなことは綺麗さっぱり忘れていた。
次の日、家に帰ったらねーちゃんが学校を休んでた。
どうしてかな、と思ったらお前ぎょう虫だってな、
普段何食ってんだ?とか手がきたねーんじゃねーかとか、伝染るから寄るなとか言われたとかで、寝込んじまってた。
誰だ、そんなこと言いふらしたのは、なんて家中で心配した。おれも、誰だその悪いやつ。ねーちゃんがぎょーちゅーになったこと言いふらしたやつは。
もしかして、知っていたのはセンセーだからな、先生なんじゃねえのか?
なんて家族一緒に本気で怒っていたものだ。
ま、そういうことがあったりしても、それぞれ家族は忙しく、次の日にはこだわりなんかすっかりなくなっていた。
ただ、夕方ねーちゃんだけが薬を飲むのを見ていると、良いなーオレも飲みたいなーなんて思った。そんなこと覚えてる。
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<別刷り:戦慄の生活係2>
★あらかじめお断りしておきます:このはなしは全部法螺です。
真面目な方は絶対に読まないでください!読んだとしても文句を言わないでください!★
近所のおばさんなんか、良く便秘の話をしています。やれ野菜はどうだ、こんにゃくが効くの、
山芋がいいらしいけど高いからねーなんて話。ということは、おばさんたちには便秘が多いハズ。
オレからみて、強力頑固、鉄壁便秘に違いないと推定されるおばさんが少なくない。みんなすごく元気でとても死にそうに見えない。
茶の間でお新香や干し柿バンバン食べてお茶飲んで便秘の話で高笑い。
ワタシ一週間出なかったのー、なんて元気に痛快に言い放ってる。うんこも一週間も腹にためておくようなのが元気なのかな。
大根漬けやタクワンみたいなモノなんだろね。一夜漬けより貴重品だ。
オレやおやじなんかは便秘なんかそうそうしない。ためておけないもん。
番犬のシロなんか電信柱みればすぐ出すからね。
家に二人便秘がいる。そのうち一人の学校の検便提出日があと2.3日に迫っている。
つまりねーちゃんは、今日から明後日までに絶対に排便しなければならない。それでさっきから、便所で小一時間頑張ってる。
それでも出ないようだ。どうしてもでないみたい。
土曜日の昼から大雨で、オレは久々外に出ないでいる。貸してもらった手塚治虫の「俺は猿飛だ」を
縁側で足をたらして犬のシロの腹をくじりながら読み終えた。それから作りかけのゴム動力飛行機オリオン号の仕上げにとりかかった。
線路の向こうのサカェさんちのシンにーちゃんに、ニューム管の切り方や紙貼りに霧吹きなんかもおそわっていたから、
このオリオン号には期待をかけていた。
一方、ねーちゃんが検便がだせないって居間で泣き騒ぎはじめた。俺とかおやじとかシロなんかは便所でしゃがんだら何の苦も無く
ポーンと出るものが出るのに。何悩んでるんだろと思ったね。
多分腹の中の構造が違うんだね、ねーちゃんなんか腹ん中にでっかい糞溜めがあるんじゃねーのって呟いたら親が叩きに来やがんの。どうせお前は明日あたり学校で糞溜めの話を言いふらすにちがいないだろっとか言われて。言わねーよ、つまんねーなーって言ったら、お前はそういう話をするような顔してんだって言われた。えっ?何、糞溜めの話しするような顔って、どんなんだよ、もし明日までねーちゃんうんこが全く出なかったら、オレのうんこ貸してやらねーぞって言ってやったら、また叩かれた。叩くことないじゃないか、うんこなんか貸した後返せなんて絶対言わないからな。
翌日さらにねーちゃんはより重体化した。なんだか顔が青黒く腫れてでっかい。目つきが危なくなって、ときどきは~~ってくさいため息をしている。なんだ、まだ出ねーのかよ、そのうち口からでちゃうぜって通り過ぎざまに言ってやった途端、親が飛んできて頭をはった。夕方おやじも似たようなこと言ったので相当やられた。オレとおやじは御膳のこっち側で便秘組があっち岸にいて、はずれたところに弟がいて、夕飯は無言で食べていた。蛍光灯の音がジーっと聞こえ、掛け時計がカッチカッチカッチ。おやじがテレビをつけたらちょうど、コマーシャルで便秘にサラットリン!ってバンジュンが言ってた。するとおやじがお前!黙っとれって、オレの頭を叩いたんだ。言うんじゃねーって、何を?止めたって知らんからな、明日絶対学校で便秘の話してやるからなって誓った。
その後少し経って、出さないとイケナイと思えばおもうほど緊張感が増して、なおさらでないなんていいながらねーちゃんが便所からでてきた。その後寝たのでわからなかったが、ねーちゃんは提出最終日を迎えたのだった。
さて、検便は適量を紙で受けてからマッチ棒で、親指と人差指でOKしたときと同じくらいの深さ7mmのプラスチックの蓋付きの容器に、説明書によれば親指大のうんこをいれることになっとる。この、親指大っていうのが、クセもの。親指全体の量だったら、容器にもりあがると思うがこの場合、どうやって蓋をしめるのかオレも知らん。親指の先くらいだと言う人もいるがその場合の量は小さじ半分?親指の半分って書いてないけどその場合は大さじ一杯かな、って思う、フフフ。じゃ、どうするったって、オレは親指にこだわらない。多分、検便の便は多いほど検査しやすいのではないかと思う。もし、検査の時に検査の人があわてて落っことしても多めに入れておけば、検査の人が良かった、まだあるから!なんて感謝するに違いない。そう思うのでオレの場合ははみ出したらキケンです!の量のちょっと手前の量が良いとその頃思っていた。それでプラスチックの容器を左手で持って、ちょうど踏切の横のミヨシ味噌屋のオヤジがビニールを広げた左手のひらに味噌を200匁盛るのを真似て、木のヘラでエイッと粋に容器に適度隙間がある程度に盛り込むことができた。蓋に学年組と名前も書いて検便いっちょ上がり。
オレも考えてみたら検便を出す日だった。それで、これだけ入れておけば、クラスで一番入っとるなあなんて先生に褒められるかなーって気分爽快だったのを覚えている。
一方、ねーちゃん。便所の前で仁王門の金剛力士立像の吽形のよう。固く口を結び、挙げた右腕の先の手は宙でげんこつを固くにぎり、左腕を斜め前に手のひらを目一杯開きつつうなったりして凄い形相で便所のドアを睨む。朝、オレとおやじが便所に入った後、ねーちゃんが便所に内弁慶。虚しくでてきてまた、金剛力士に變化のくりかえし。
時間は迫る、もう7時15分。オレ学校に出かける寸前。かたやねーちゃん、緊張して出ないから学校行かない!なんていい出した。
お父さんが出したの出すか?イヤ!汚い!オレもうおわってるからもう出んなあってオヤジ逃げた。
じゃお前(おれのこと)がも一回出しな。頑張ればでるだろこのクソッタレ。それ分けてもらったやつ持って行けば?いいだろ?・・・ダメ!もっとヤダーーー。
出そうと思うと尚更出ない。でも今日が提出期限の最終日。休校する?休みすぎだろ。絶体絶命、オレ知らねーって玄関を出て逃げた。
そのとき庭で朝ご飯食べた後、番犬のシロが家族みんなの見ている前でヘーキで大量のツヤツヤした良い形のうんこを出した。オレ、ちょっとだけこれ持っていけばいいんじゃねーのとか言いそうになったのだが、登校前にまた叱られるもいやだから出かけた。
それから、二ヶ月くらいしてかな、オレが学校から帰ったら、お前保健室にこれ持って代わりにくすりもらってきなさいってことになってた。
ギョーチューのときと同じ。
保健室で先生から、日頃お姉さん何を食べているんですか、皆と一緒に御飯食べるの?好き嫌いであなたとは違うものをたべたりしている、
の・・・へー、おかーさんどうしてだろね?食事の時に手を洗ってるおねーちゃん見る?とかなんとか聞かれた。
ま、先生だって、オレじゃなくてねーちゃんのことだってわかっていたからね。それにしても、
番犬のシロのうんこのせいではないでしょうかなんて言えなかった。なんかそれ言ったらおしまいのような気がしたんだ。
前にもギョーチュー事件で、こういうことがあったが、ねーちゃんと同じクラスの
にーちゃんたちは二年上級生だから怖くて学校では誰にも何も言ってなかった。でも、同じクラスの仲間とかクラスが違ったトモダチ、
駄菓子屋のおばさんとか、
町会議員のケヤキさんに、時計屋のホシさんのおばーさんやら、マツシタのおにーちゃんと刑事の奥さんのヨダさんと、
ニカイそろばん塾で一緒になるひとたちとか、大工さんの寮の五郎さんの奥さんなんかには、付き合い上の義理で仕方なく話していたかもしれない。
ねーちゃんが便秘で悩んだあげく、番犬のシロのくそを検便って出したら引っかかっちまって、
オレが保健室で叱られたって話が、いつの間に有名になってね。ねーちゃん、また学校休んじまった。
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<別刷り:戦慄の生活係3の①>
生活係になれた!小学校に入学して以来まるまる二年半。初めて役員に任命された!他の子たちはそれぞれ記録係、図書係、時計係に班長、
一番エライ学級委員なんかになっていたのに。
おれとハラダなんかはな~んの役にもあててもらえなかった。役員ったって、週番なんかじゃあダメなんだ。仕事といえば廊下の外で
黒板拭きをぱんぱんしてチョークの粉を振り落とすこととカレンダーめくりするぐらいのことだ。
冬にコークス運んできてストーブに火をつけたりするのは多少面白かったけれど。
所詮、週番なんか順番であたるわけだ。オレからみたら誰でもできるような役はちっともエラくないんだ。みんなから選ばれ尊敬されるような役じゃないとなあ。
やっぱりひとに命令できたりなんか従わせられるようなのがエライと思っているんだ。
そりゃクラス委員なんか、やらしてもらいたいけれど、順番でもらえるような役ではない。
なんだか人気だとか勉強のデキなんかが関係するらしい。日頃の態度も関係あるみたいだ。だいたい学級委員のバッジつけている子は
なんていうかきちんとしているんだ。
それに比べ、オレやハラダみたいによく思われていないのはダメだ。だれがオレやハラダを選んでくれる?こういうよくない評判とか定評が確立していることがいちばん困る。
どーしようもないもん。今までの事(前科)言われたら。多分おれとハラダなんか年中というか毎日、先生に叱られる姿を見られているから。
授業中の態度なんかどう直せば良いのか。オレもハラダも毎日直そうぜってさんざ思うのだが、結局勉強より今、
目の前の楽しいことに気が行っちゃうんだ。それに比べれば今したいことを我慢できる学級委員ってのは偉いよ、オレとハラダはそう思ってた。
だから、永久になんかの役員に選んでもらえないだろうことはよーくわかってた。そりゃあ、ハラダに比べればいくぶんおれのほうがまだマシなんだけどな。
とにかく、今朝先生から生活係に指名されたのはおれだ。ハラダなんか卒業するまでなにもさせてもらえまい。さっそく自慢しに行こう。オレははりきった。
<別刷り:戦慄の生活係3の②>
ハラダは一年生から同じクラスだ。担任の山内先生がもともと養護の先生で基本的に温厚で優しい先生だった。
どこに出かけるときでもアコーディオンを持って皆で歌を歌おうなんて言っていた。良い先生だった。
家庭訪問の時に先生が玄関から上がった際、靴下の穴から右の親指がとびでていた。
先生はオレは注意力散漫で忘れ物が多く、落ち着きがないって言ってったらしい。とにかく真面目一方の先生だった。
そういう山内先生をオレかハラダ、または二人一緒で連日怒らせていたから、今は申し訳なく思ってる。
オレとハラダの机だけがなぜか先生の机の両側のそれぞれ右と左にあり、
おれたちはクラスのみんなと対面していた。これは、そういうこともあってのことだと、かなり後で気付いた。
当時のおれたちは先生の贔屓でか、見込みがあるから先生の脇に座らせてくれているのだ、とばかり思っていた。
ある日突然、先生は中腰になってオレの顔を覗き込んできた。心配そうな感じで、
いきなり両の掌で優しくオレの顔をはさむと本当に善人の目で、ヒロくんは馬鹿じゃないんだよ!いいこなんだよ!って言った。
オレはあたりまえだ、なんでいまさらそんなこと言うんだって思った。
後でハラダに聞いたらハラダはそんなこと聞いてなかったと言うから、似たような二人にしてもオレの方が見込みがあったんだ。
とにかく、いつ頃からおれたちの座席の位置がそうなったのかについての理由をおぼえていない。
いつも先生と同じ視線で、皆をみはらせて、真正面に先生がいない点、快適なポジションだった。
その後、おれたちを見ていると先生がいらつくのと他の生徒の邪魔になるからじゃないか、そうだそうだと授業参観の時の父兄の声が聞こえたらしい。
おとなになったワタシは、法隆寺の山門の仁王さんを見るたびにオレとハラダの座席関係を思い出すのだ。
とにかく小学校一年二年は担任は山内先生でオレとハラダはいつも先生の机の両脇で過ごした。
年中、ハラダと一緒になにかしでかしては叱られた。
登校時にでっかいでんでんむしをたくさん捕まえたから、学校で殻をむしり取ってやろうゼ、なんてことを二人で決めて登校した。
一匹目をハラダが先に剥き上げて、それをオレに見せながらナメクジ!って歯をだして笑ったんだ。
オレ、めちゃくちゃおかしくって笑いが止まらなくなった。その瞬間、おれたち同時に先生に叱られた。
でもツボに入った笑いが止まらない。結局、椅子の上に立たされた。
ハラダも同じで、椅子に立って目があった時、またおかしさが込み上げてきたから、こういう時によくやるほっぺたの内側を歯で噛むってヤツ。
反省したような顔して立っているのも大変だった。
<別刷り:戦慄の生活係3の③>
ハラダとは2年生の春休みに学校の校庭で遊んでいる時に二人とも立小便のことで校長室に呼ばれた仲だ。
春休みに校庭で遊んでいてふたりともおしっこがしたくなった。便所に行くのがめんどくさいから、
そばの植え込みから入って学校の壁に向かっておしっこをしていたんだ。
そうしたら、休みで居ないはずの校長がいきなり眼の前の窓から顔を出しやがった。
ちょうど校長室の窓の下でおしっこをしていたことになる。窓が開いて出た顔見て校長だ!ってわかっても、
おれはシッコが止まらなかった。出しながらスイマセン・すいませんって言ったんだ。
ハラダのヤツは瞬間的にシッコを止めて、植え込みの向こうに駆けて逃げたんだ。
でも結局、ふたりとも校長室に呼ばれた。なんか、でっかい椅子とか額とかカップが置いてあって、壁に大きな時計。
でっかい椅子のむこうに校長のでっかい顔。校長室は南向きに窓があるから、窓を背にして座る校長の左肩の後ろの窓の下で
おれとハラダがおしっこしていたことになる。ひととおり校長がなんか言っていたけど、おれたちなんか怒られんのなれているからね。
うだうだ言ってないで早くぶって終わりにしてくれたらいいのにと思った。
叱られている最中にハラダをみたらやっぱりこっち見て同時にニヤッと笑ったら、校長が学校が臭くなるだろーとかはじめから怒り始めた。
おれたち子どものおしっこくらいでそんなに臭くはならないのになーと思ったし、
オレはともかくハラダなんか校長、何回叱ってもこいつ駄目です、反省してないですって教えてやれば良かったな、と今になってそう思う。
後日、この校長に野田醤油工場への社会科見学のバス旅の際に、オレは生活係として活躍、生まれて初めてエライ!と
褒められて良い気持ちになるのだがこれは後ほど機会があれば語りましょう。
そうした前科に加え、オレとハラダは三年生になっても鼻垂れが治らなかった。鼻垂れのせいでふたりに役がこないのかと思った。
入学式に鼻水がたれて口を開けっぱなしだったのはおれとハラダだった。同じクラスで、どちらも似たような
色調と粘度で、鼻汁の湧出量がはぼ同じだった。
オレとしてはハラダより先に鼻垂れが治りたかったが、結局、ふたりとも4年になるまで洟垂れ続けた。
それでも、オレとしてはハラダより先に洟垂れが治るような気がしていた。
だから、かわいそうにハラダなんかずっと鼻垂れが治らないまま大人になっちゃうんだ、と思うと同情しないではいられなかったんだ。
オレたちよりひどい洟垂れが一学年下にいるのがわかった。オレたちふたりからみて、コイツのはひどい悪性の鼻垂れで、
だからもう、どうにも止まらない哀れなやつだなとハラダとよく話したりしていた。
そいつの洟というのが、オレたちよりずっと粘りが強いようで、鼻頭がいつも真っ黒になっていたんだ。
明らかにおれたちよりきたねえ洟垂れだから、きっと頭も劣っているに違いないと思っていた。ところがそいつ、ヤマテトシカズが、
オレたちふたりを差し置いて、三年になる前に洟がとまっちまったんだ。
これを知った時はすごく焦った。ハラダなんか年下に負けたのかって家で散々絞られた。
洟垂れっていうのは、のーみそが溶けてでてくるのであって、だんだん頭が小さくなるんだとかどっかのおっさんに言われた。
それでは困ると思い、できるだけ洟を舌べろで回収しなきゃいけないと、ズルズル鼻水を吸って飲んでたら、
家中から汚いことするなってすごく怒られた。家だけでなく、どこへ行っても洟を飲んでいるのを見た大人はひどく嫌がった。
そういう行為を大人たちは大声で叱ってくるんだ。だから人目がある場所では止めてはいた。オレもハラダも鼻垂れに見えるせいで、
頭が悪いと思われているだけなんだ。オレもハラダもそう思われているだけで、他のヤツよりケンカも強いし、先生に叱られても平気だ。
いつかハナは止まる。その時こそ、おれたちがよほど見込みがある人間と皆が知るんだと二人は信じていた。
どのようにもなおらないふたりは、少年時代に変な心配やら辛い想いのかけらの一つも残さず、
このうえもなく楽しい素晴らしい記憶を残していったのです。
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<別刷り:戦慄の生活係3の④>
何年生の夏休みだったか、ウサギ小屋とニワトリ小屋の清掃と餌と水やりを二日くらい頼まれた。
そのころはそれぞれの小屋を学年が違う生徒3名の組を作って、順番で当番をしていたように覚えている。
夏休みの3日間は邪魔っけな上級生が臨海学校でいなかった。その時はおれとコタニと糞の掃除と餌と水やりなんかのびのび済ませた。
当番がおわった、天気がいい夏休みのある日、学校に遊びに行った。
オレは当番の経験でそれぞれうさぎとニワトリの捕まえ方、抱き方や掴み方、それからどんなことすると噛まれたり、
突っつかれるのかもすでに体得していた。ニワトリはとうもろこし、うさぎは人参と葉っぱを好んで食べる。
うさぎは水を飲まないので水をやってはいけない。なんでも下痢して死ぬらしい。
とにかく、どうしてそのときにそんな事を思いついたのだろう。今となってはもう、理由はわからない。
おそらくウサギ小屋がニワトリ小屋よりも狭いとウサギが単純に可愛そうと思ったからだったのだろう。
それで、結構苦労しながらウサギを全部鶏小屋に放したのだった。ニワトリは種類と大きさがいろいろで数が多い。
だから、手当たり次第適当に数羽づつ個室的ウサギ小屋に移したのだ。作業が終わるといつにない高揚感と成し遂げ感が込み上げ、
そのまま帰った。そしてそんなことをしたことなんかすっかり忘れた。
次の日に誰だ、ウサギとニワトリを入れ替えたやつはって問題になっていたらしい。
その時おれは係ではなかったし、学校にも行ってなかったし、どういうことになったのかも全く知らなかった。
夏休みが終わって、こんな事がありました!みたいな事が朝礼で伝えられた。以後、その件で特に叱られたことがなかった。
次に番が回ってきた時にウサギとニワトリは入れ替えないことって、小屋の壁板に大きな注意が書いてあるのに気付いた。
そんな面倒なこと、頼まれても誰もしないもんな。わざわざ注意書き作って、ご苦労さんだなって思った。
なにかダメなことをしたら、その時叱っておかないと、時間が経ってしまうとなんで叱られたかがわからなくなるんだ。
そういうあたり、犬と同じ。わんわん。
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そうしきまんじゅう
戦後十何年を経た昭和どっぷりの気風と光景の小さな町のお話。
かように伺ったような、こようには聞かなかったような無駄話です。念の為。
そんないい加減な話なんかききたくないかた、どうぞお目こぼしのほどよろしくお願いいたします。
それではそろそろ今回のお話に入りましょう。
<1>
その頃、電信柱は丸太でできていました。
電柱の両側に縦に鎹のような太さで先が上むいて曲がった金属棒が子どもの背丈では届かない程度の高さから天辺まで刺してありました。
これは多分、電気会社の人が保守点検するために昇り降りしやすい足掛けだったのでしょう。
男の子はだいたい小学5年くらいに大きくなってくると、頑張ればジャンプして一番下の鉄棒に届くようになります。
最初はぶら下がったりしていたのが、電信柱を登りおりしたり、かなり上の方で遠くを見たりしていました。
ときには紙芝居屋さんのただ見のために登りしました。
電信柱をつかう子どもの遊びがありました。たとえば子どもが8人集まったとします。なんとなく長馬やろうぜっと気が合います。
男の子も女の子も関係なく参加します。体重や背丈など、それぞれの体格の適合なんかはなんとなくうまく調整していました。
それぞれ4人づつの二組に分かれます。守りの組は、一番背の高い子が電柱に背中をつけてしっかり立つのです。
この子の胴体に二番目の子が腰を折った姿勢でしっかりしがみつきます。二番目の子の腰に三番目の子がしがみつきます。
こうして馬のグループの体制が整います。のこりの四人組が、順番に最後尾の馬から3mほどの距離からスタート。
走りに勢いをつけてジャンプいたします。できるだけ電信柱に近い方の馬の背中めがけて跳んだところの馬の子にしがみつくのです。
残りの三人も、次々にジャンプしてできるだけ遠くの馬の背中へと翔んでしがみつく。
最後の子がしがみつくまでの間あるいは最後の子どもが背中に乗っかっても馬が崩れなかったときは、馬をさんざん揺すり崩そうとします。
耐えきれなくなって馬がくずれるかあるいは耐え凌ぐ、それいかんで勝負が決まるのです。
崩せなかったら負けです、馬になります。今度は馬だった子どもたちがジャンプする番です。
背中にドーンと人がのっかったり、胴体にしがみつかれてグイグイ揺さぶれてもキャーキャー笑って。
ちょっとくらい膝や肘を擦りむいたって病院に行くほどの怪我はしなかった。
こんな全力で身体を使うような遊びから強い子どもが育ったのではないかと思います。
長馬は結構体力と気力と忍耐が要る遊びだったから、一回か二回づつの勝敗で、今度は別の遊びしようぜってなった。
幼い弟妹たちはこうした姉妹兄弟の傍らで見学して過ごしています。
地面に釘で絵を描いたり、縄跳びしたりそれなりの体力と知力にあった遊びを、兄と姉たちが居る範囲内でして過ごしておりました。
幼かった妹弟が少し大きくなってきたら、それぞれの兄と姉たちが“お味噌”と呼び、上手に手加減して長馬に混ぜていったりしました。
やがて、長馬をする子どもたちも成長して、お互いの異性が眩しくみえてきてしまうと長馬遊びをしなくなります。
長馬遊びの主役が弟妹へとうつりかわり、お兄さんお年さんたちは幼少時代を卒業していったのです。
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<2>
ハガさんところのアパートの二階に住んでた龍バーさんがサルのひでよしを飼っていた。
ひでよしは手のひらサイズのいわゆるポケットモンキーだ。龍バーさんがめっぽうかわいがって手作りの赤い半纏を着せていた。
毛深い胴体に頭と細い手足、紐のような尻尾がついております。
目の上から頭の天辺あたりの皮膚を忙しく縮めたり伸ばしたりしつつ、同時に首を左右にたえずふりふり。
手足は休みなく頭を掻いたり、尻を触ったり。じっとしているのを見たことがなかった。
なんかそんなに忙しくなくてもいいのにねーと思った。
サルなんかとっても珍しいものだから、バーさんのところに用もなく上がり込んではサルを面白くみて過ごした。
バーさんがバナナをひとつまみを指で摘んで見せると、ひでよしはぱっと両手で掴みとる。すぐさま口に運んではぱこぱこ食べる。
食べながらもとりあげられるんじゃないかというようなおどおどした目つき。
上下左右前後にパッパパッパ視線を配りつつ、いっときもじっとしない。
だからといって、じっと目を開けた不動状態だったらまたすごく変だしね。サルってそんな感じだね。
手をちょっとでもだそうものなら歯と歯茎を力いっぱいむき出して全身で向かってくるから、怖かった。
見ていると顔なんか、ほとんど人みたいで。だけどひどくちっこい、梅の実くらいだった。
そのくせ目と鼻と口がちゃんとした人間と同じ出来で、
顔面に毛がなくて、生っ白い柔らかそうなシワシワの皮膚。目がキラキラしてた。
表情はいつもびくびくしている風体で、落ち着きがなくなんにでもおっかながって立ち向かうようだった。
そういう顔ってどっかで見たことあんなーって思ったが、その時は思い出せなかった。
帰り道でヒラタさんとこの痩せじーさんにそっくりって気づいたらすごく笑えた。
そのうち、おれだって子どもなみにいろいろ忙しくって、サルに飽きたら龍バーさんのとこには行かなくなった。
ひでよしのことなんかすぐ忘れた。
それから何年も経ったある日、二階で腹ばいで漫画を読んでいたら、窓の手すりあたりになにか動物的な気配を感じた。
カラスか?猫か?鳩かヒヨドリかしら?なんて思ったら、チョコマカ動作のこっちをビクビク興味津々みているあの、ひでよしに違いなかった。
わっ珍しい、サルじゃん!つかまえよっと、立ち上がったら、ひでよしすばやく手すりからジャンプ。
うちの壁伝いにむこうの電線までピョンピョンはねてった。たちまちどっかに姿を消した。
おれはすぐにひでよしが来たことなんか忘れた。
それより松下くんから借りたサンデーの伊賀の影丸を読むほうが大事だったんだ。
その日から夕方になると、龍バーさんが虚空をうつろに見上げつつ5歩程度歩いてはヒデヨシー!と叫びまわり、歩き回る。
その姿は近所ではいっとき有名になった。
バーさんの声がこっちからずっと向こうの路地まで、夕方カラスがかーとないたあとの小一時間すぎても響き渡った。
おれなんかひでよしと龍バーさんのことを知っているからいいのだけれど。
虚空にひでよしと連呼しながら路地を徘徊している龍バーさんを知らない人がいきなり目にしたら。
少し離れ見、哀れ!みたいな視線を投げかけたことだろう。
わけを知らないのに、家族はどうしてんだ?年寄りをほったらかしてー、警察に連絡しろ!なんていい出しかねなかったのです。
そのころのおれでも、一度外に逃げて飼い主が呼んで帰らなくなったサルは、そう簡単に帰ってくるものじゃないって思ったな。
失ったものが大切であればあるほど、気の済むまで探さないではいられないのが人情だって、今なら分かるんだけどな。
その後、龍バーさんに会うことはなかった。どうしているか考えてもみないままワタシの少年期が過ぎていったのです。
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<3>
そのころは画鋲なんて気が利いたものがなかったから、ビラなんかは電信柱にヤマト糊で貼りつけたまま、あとは放りっぱなし。
どうせすぐ端から糊が剥がれてきて、風にピラピラ揺れるようになると、数日でどっかに消えてました。
ビラは犬のシロちゃん見ませんでしたかとか猫のタマちゃん知りませんかなど。人探しならぬペット探しが多かった。
飼い主にとってはシロちゃんやタマちゃんがいなくなったことはそれは大変な事件です。
そのころは保健所だと記憶しているけど、ときおりそのテの檻が載った車が町中を巡回し、野犬を捕獲していきました。
実際に逃げるは暴れるは状態の野犬をおっさん二、三人でどやしながら追い詰める。網で捕らえて檻にいれる。
その一部始終を目にしたことが一、二度ありました。勇猛な猛獣狩りのようですが、相手が犬だと思うと可愛そうでした。
その頃の少年は忠犬ハチ公やラッシーからリンチンチンの物語などよく見聞きしていた。実際に家でもよく飼っていたし
友達の家で撫でたり、からかったりしていたものです。投げた棒を喜んでもってかえってくるのは人に撫でて褒めてもらいたい生き物だって
解り合っていた。そういう犬との付き合いから犬という動物は人と気持ちを共にできることを肌身で感じ、一緒に遊んでいたのです。
子どもたちには一番身近の動物だったんです。
総じて子どもたちは“いぬころし”が来ると、怖くはあり、ワクワクぞくぞくの出来事なのでした。
狂犬病の流行が実際にあったころで、他所の誰かが噛まれてはいけない。だから、鑑札なしか、首輪をしてない犬は捕えられたのです。
すっごくアタマがよく、何年も捕まらないままでいる犬も居て近所では有名でした。
そういう犬は原っぱなんかで、なんとなく子どもたちともうまく付き合っておりました。
野球をしているそばで普通に寝そべってハアハアしている犬が一匹や二匹は必ずいました。
ときどきとってくれーなんていうとボールを持ってきてくれました。
だから犬は野犬であろうと飼い犬であろうと少年にとって極めて身近なともだちでした。
幼い弟なんかが馬乗りにしてみたり、顔の皮を引っ張ったりしてもうまくいなしてくれて相手をしてくれていました。
野犬であってもどことなく親しみ深かったものです。
捕獲された犬は数日間お役所に集められるのですが、飼い主が引き取りに来なかった場合は薬かガスで殺処分されるのだと聞かされていました。
これは犬の場合。野良猫についてはこういう取締はなかったとおもいます。
とにかく、シロちゃんやタマちゃんを見つけた方いませんか、電話連絡ください、
お礼をいたしますなんて書いたビラがどこの電柱にも貼ってあった。
少年たちはシロちゃんかタマちゃんを見つければお小遣いをもらえる!とばかりにとりあえず広っぱなんかに探しに行ったり
、友人、兄弟知り合いに聞いたりしてはするものの、一時間もしたらどうでも良くなって。
結局、だれかんちの犬でも連れて行けばわからないんじゃないかなんていい出すやつがでてきたり。
所詮他所の犬のことなので、いずれそんなことはすっかり忘れてしまい、遊びだしてしまうのが常でした。
夕方風呂に入る頃、また思い出すと、明日は捜索隊を編成するか、なんて考えたりしたもののその頃の子どもには犬猫探しより
もっともっと面白くてゾクゾクわくわくするような遊びがいっぱいあった。思いつく遊びを全部こなしていると、
夏休みだけではもう足りない始末。子どもは子どもなりに、それは毎日いそがしかったのです。所詮他人の犬猫のことですから、すぐ忘れる。
いい加減なものです。
そうそう、ネズミが出たっていうので猫のタマちゃん貸してなんて話がありました。ネズミを捕るタマちゃんの飼い主にはお礼に鰹節が贈られた。
タマちゃんをどうするんだって?それは、まず飼い主のところからタマちゃんを抱っこしてくるのです。
押し入れの天井板を外し、タマちゃんを天井裏にいれます。そのころの飼い猫ってもんは自分の役どころをよくわきまえておりました。
だから、しばらくすると天井裏をドドッドドッとあっちへこっちへ走り回った。
そのうちシーンとする。いつの間にやらどっから出てきたものやら、
得意顔のタマちゃんが獲ったネズミを台所の床においたその前でどうですって感じで、きちんと座ってんの。
家人がやんやヤンヤの大騒ぎ。総出でタマちゃんを褒める。その気持ちは猫にはよーく伝わっておりますから、
エヘン・人の役に立ったゾの佇まいを醸し出すタマちゃんでした。
帰るときにまたねなんて顔したタマちゃんが抱っこされて飼い主の家まで凱旋して行きます。
飼い主もしてやったり、どうだうちのタマちゃんすごいだろってんで、えびす顔でこんばんはごちそうにありつくタマちゃんでした。
タマちゃんを返してきたオヤジがあのうちのバカ息子よりタマちゃんのほうが役に立つなんてね、言ったもんです。
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<別刷り>
Oさんが、ウチのスタッフのそれぞれにプリンをくださったと人づてに聞いた。
その時にかぎってだ。なんでだか、ワタシだけもらえなかった。
だからというわけではないが、意味もなく本能的かつ反射的、さらに衝動的に感情的な気持ちになり、すぐさま冷蔵庫を確認しに行った。
そうしたら誰の分だかわからないけれども、それが1つだけあったんです。みれば中身がしっかり厚盛で、相当の食いでがありそうなビッグで、
みたこともないこぶしくらいの大きさの瓶に入っているプリン。男性陣ならばせいぜい半分も食べればいっぱい、いっぱいになるくらいのデカプリン。
もしや誰かがワタシの分を受け取っていたのをここに置いてあるのかもしれないナ? そう思った。
そう思ったというのは、次の瞬間にはそうにちがいないという信念に変わっていた。どう考えてもワタシだけもらえないはずがないじゃないか。
たまたまその場にワタシが居合わせなかったから「これ先生の分ですけどおわたししてください」なんてことがあったはずだ。
それも一番いいやつのデラックス・キング・デカプリンをとっておいた・・・。そうに決まっとる。
そう思ったから事務長に「Oさんのプリン、冷蔵庫にあるやつ。オレの分でしょ?誰かがとっておいてくれたのかい?」なんて聞いたんだ。
すると事務長「い~え。ぜんぜんそんなこと聞いてません。余分の?ありまセン!あれですか、ワタシの分ですヨ」って。
ですヨの“ヨ” に積年の嫌味をこめて聞こえたじゃないか。
なんだ!おれだけのけものにされてる。仲間はずれにされてるんだ~。
あからさまなイジメより、それとなく感じる仲間外れイジメのほうが陰湿だ。たちが悪いんだぞ、じむちょうめ。
そういうことでわたしがひどくマイナーな気持ちになっているのを事務長はすこーしもワカらなかったのだ。
そーいう陰湿イジメやろうに、あ・半分どうですかの一言すら皆目期待することができない。
デリカシーがないやつ。ま、おれは別に食べんでもいいわい。
しかし、このプリン結構でかい。だからおそらく事務長だって半分も食べたら腹一杯だろう。
しかも、こんなもんで血糖が上がったりしたら事務長の健康問題になる。奥さんのキヨミさんになんてお詫びする?
だいたいワタシには監督責任があるし、な。
ワタシは職員を医学的に管理する義務および権限があるのだ。
せっかくのプリンなんだから、食うななんて言いません。言いませんがせめて半分くらいにとどめておけばいいのではないでしょーか。
そう助言したほうがいいと思ったのです。が、だからと言ってワタシの助言を素直に聞いてくれるような事務長ではない。
せっかくの親切で思いやりあふれる助言であってもだ。
きっと、ワタシが食いたいからって事務長に半分だけ食わしといて、残りの半分をよこせと言っているんだ、くらいに悪く取るようなヤツだ。
そうか、それならばだ。あらかじめ量を半分にしてあげておけばいいのだ。
どうせ事務長のことだ、カサが半分減ったくらいで誰かに食われたとには到底気づくまい。
そのように思考した実体は、その時のわたし自身の実体ではありません。ワタシのせいではなく。ワタシの背の方に棲む黒い悪魔のオレが右耳に囁いたのだった。
それからしばらくワタシの実体ではなく、黒い悪魔に操られた“オレ”が思考し行動し始めたのだった。
すなわち、"オレ"すなわち黒い悪魔に操られたワタシは、理由もなく誰もみていないか、注意深く確認した。
冷蔵庫に近づき、音がしないようにドアを開け、また閉めた(別にドアをバンバン開け閉めしてもいいのにナ、しかし黒い悪魔に操られてるから・・・)。
左手にティースプーンを持ったオレは、右手に例のプリンの瓶を掴んだ。注意深く包装を観察した。
まず一枚目の薄いセロファン、二枚目の普通の紙があるぞ。
この二層の蓋が金色の細い装飾バンドで締めてあることを悟った。オレは再び、前後左右を目と耳で誰もいない、気づいていないことを確認するのであった。
そのままオレは、そそっと冷蔵庫の隣の比較的厚めの文書棚脇へと後ろ向きに移動した。暗がりで蓋のバンドを緩め、蓋をやさしくそっと剥がす。
うまくいった。
この蓋をどこへと思ったが、めんどくさいからすぐそこの棚の書類の上に適当に置いた。
どうせあとから食べるのはオレではなく事務長だからな、となんせ黒い悪魔が囁くものだから。このときのオレはきっと悪い目をしていたことだろう。
悪魔に操られるがまま、瓶をヨコから観察したら、なんということだ!こいつ、肝心のカラメルソースが瓶の底に0.8センチの厚さの最下層になっているではないかっ。
このソース層の上に約4.5センチメートルの厚さのデカプリンの実体が充填されていたのだった。
普通、プリンのカラメルソースは富士山頂の春の雪の如く上層にある。
しかし、入れ物の下っ端にカラメルソースが入っているのがある。プッチンプリンだ。底の爪を横倒して空気を入れて逆さまにして皿のうえでちょいと振ると
ポッテンと頭にカラメルをまとった富士山型のプリンが一丁現れるんだ。
するとこれは、プッチンブリンと同系列で逆さ富士状態にカラメルソースが仕込まれているのか。だからこのプリンも
ひっくり返して食す?でも瓶詰めだし、プッチンできんゾ。どうすんだ?うーん、今食い方なんかなんて考えている場合かっ。
スプーンでカラメルソースごとシャクって味わおうがそうじゃなかろうが、今のオレには関係ない・・・と思ったのだったが。
実体半分だけなら事務長が気づかない程度にティースプーンでシャクって食うのは簡単。
でもな、ホントーにプリンの黄色い部分だけ味わっただけで満足できるのか。
カラメルソースとともに味わってこそのプリンではないか、悪魔が囁き始めた。
そりゃ中身をすすって蓋を元に戻すだけのことだったらことは簡単だ。だが、カラメルソースも味わわなくてお前はそれでいいのか?
カラメルソースなしでプリンを食うのかお前!人目を避け、こんなに危険な思いをして!あげくに中途半端な食い方しようってのかい。
それでプリンをちゃんと食べマシタと言えるのかお前!と、悪魔はそそのかし急かすのだった・・・仕方ない。
うーん、どうにでもなれっ!
オレはスプーンをカラメルソースがある底まで一気に突っ込むと、シャクっては口を尖らせて吸いこむ。
ズルズルずる・・すすり続けた。うまい具合に半量程度を残せた。そこでやめた。
アア、他人(よそのひと)のプリンを盗み食うこのうえない密やかな背徳、美味さ。ボードレールの「悪の華」の題名が頭に浮かぶ。
悪の喜びの讃歌、祝福のベルの響き。まさに祝福の味は美しく華やかな音曲と薄暗がりで一閃の輝きを放つ。
黒い悪魔(ホントだって、こいつにうながされるからワタシはしかたなくうごく)は満足げにまたなと、姿を消した。
ワタシにもどったオレは悪の一瞬の行いの“蓋をもとのように”もどす。見ため何の問題もないと思ったが、横から見たら
カラメルソースが瓶の底から斜め上方にスプーンでシャクられた形をとどめる亡霊のように巻き上がり、プリンの実体部分と混合しながらも
しっかりと黒茶色の屈辱を印象した波型を残していたのだった。
さながら「ワタシは悪魔のスプーンでしゃくられたの!」と訴えるように!
コロンボ刑事でなくても誰かが半分盗み食いしたその食いかけを何事もなかったかのように残した証拠だ!と分かるような痕跡が残されていたではないか!
どうする?悪魔が去り、ワタシにもどったオレは困った。
そうだ、混ぜてごまかすのだ。ワタシは使ったスプーンをまたひと舐めし、瓶にツッコみ泡立つほど思い切りかき回したのだ。
それからのことはワタシ、別に何も言いたくもないし、覚えていたくもありません。ま、些細なつまらんことですから、ね。
そして冷蔵庫のドアを締め、さっと仕事にもどったのであります。頭のどこかで
“ヒトサマのプリンって黙ってたべるとおいしいな、できればぜんぶたべたいな、今度はぜんぶたべちゃおな”的自己主張が明滅した。
仕事を終え、ひととおり日報を確認しサイン、三階に上がっていくときは、事務長はまだ最後のレジメをしていた。
「あ、冷蔵庫のプリン、見たよ。アレ、マーブル味みたいだね。食べていないから味はわからないけど、普通のプリンでも欲しかったなあ」
なんて言い残して去ったのだ。
翌朝、事務長からは何も言って来なかった。ワタシも、別にプリンに関するようなことには敢えて触れずに過ごした。
どう話そうが事務長は何も気づかずにアレを食べたに違いない。完全犯罪さ!
その日の夕方、腹が減ったなーと事務長に言いいつつ、あのプリンさ、美味しかったの?って聞いたら、
ええ、美味しかったデスって、言ってた。ふふふ。
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<別刷り:生活係1>
今日、学校で衛生検査があるぞ!なんて登校の際に知らされて、アッと思い出してあせりまくる。
衛生検査の検査項目は、
爪切りしているか、ハンカチとハナガミをもっているかの三種。爪切りしてねえと思って、
コンクリの壁に爪をこすりつけながら歩くと、爪の伸びた分を研磨できたのです。
ハナガミは学校の便所のトイレットペーパーをちぎってきたのを畳んで見せて済ませるか、
時間的余裕がなく、切羽詰まった時は、持ってきているヤツから力ずくで取り上げて見せた・・・なんてこともしていたらしいって、
そういうふうに聞いております。
ハンカチは、シャツの裾をすごく引っ張り出したのを見せながらハンカチ!って。
ちらっと生活係に見せて無理押しで検査を通った・・・こともあった。
そういう非合法的努力の甲斐もなく、結局検査違反か反則スレスレまたは恐喝詐欺まがいの行いで、
おれたち常習犯は朝っぱらから先生の長時間にわたるお目玉を食らったのですわ。
なんか、そういったことなんか思い出したものですから。でも小学校の4年くらいまでの幼き頃の可憐な児童の時の話ですヨ。
それ以降どうしたって?あらかじめハンカチとハナガミを机の引き出しの奥に一年中突っ込んでおく、なんて知恵を身につけてだねえ・・・
そういう行動癖がどうしてもやまないような子が、クラスには何人かいてね。そいつらの周りはいつもザワザワ。
そういう子はもう、毎日何かで先生から叱られております。時にはホントーになーんにも悪いことしない、無実で叱られることもあった。
朝礼の時のシーンとした中、校長が立つ朝礼台と整列した生徒の間を、ある猫がびっこ引きながら恨めしそうに
こっちをみながら通り過ぎて行っただけで、お前だろーって。なんか無実なのに叱られたこともあった、とか。
そうこうして三年生までには叱られることに呆れるほど慣れましてね。自分のしでかした内容の軽重から判断して、
先生の小言の長さがだいたい予想できるようになる。また、ハイハイ、スミマセン、アアそうです、そうなんですねー、
なんともかんとも・・・なんて上手な合いの手の入れ方まで使いこなせるようになります。
でも、職員室で立たされながらのお小言の最中に、なぜか目を細くしてぼんやりうつむき加減のまま、
さながら坐禅僧のごとくしつつ、先生の怒号を頭の上に聞き流しつつ、今週号の少年マガジン、宮本のおにーちゃん買ったかな、
帰りにみせてもらおうなんてこと考えてた。そのとき、いーこととわるーいことわかってんのか?って先生が大声だしたので、
純粋無垢な瞳をしてみせながら「せんせいわかりました~」と言ったら、その目が反省してないんだ!ってかえって
先生の怒りに油をさしてしまうという失敗例もしばしばしでかした。
そうそう、うちの近所で野犬が左脚をびっこひきひき近所を歩いているときがあったの。
それでさ、家の親父が帰ってきたときにそれみてさ、お前!あんな可哀想なことしやがってってぶたれた時があった。
そのときばかりはオレのせいではなかったのだけれど、親父のげんこつがはやかった。しかたねーなと思った。
親父に見込みで殴られることには慣れていたからな。
それに比べれば学校の先生のげんこつなんか屁のようなもん。精一杯痛いふりして先生を満足させてやったもんです。
ただ、中学校の数学の女の先生に黒板用の三角定規で縦に頭をぶたれた時は頭蓋骨にしみる痛みだったな。
ある雨の日、外で遊んでられないから縁側で飛行機作っている最中、親父がなにかに怒って背中をいきなり張り手でぶってきたことがあった。
意味わかんねーけど親だからしかたないなーなんて受け流してた。すぐにそんなことは忘れた。
しかし、翌日学校でプールがあって、そのとき斉藤くんや野本くんが
、おっおまえ背中に手の跡あるじゃんカッコいー!って言うの。便所の鏡で確認したら、平手でぶった親父の手のひらと指の跡がくっきり
真っ赤に腫れあがって、それが派手で粋に見えて、男気をそそった。
オレカッコイーって思った。その手形も二、三日したら薄くなってきたので、これはマズイと思った。そこで親父が夕方帰ってくるのを待って、
もう一回背中を平手でぶってーって頼んだら、その時親父、すごくかなしそうな顔してさ、ぶたなかった。その時の親父の
無精髭の顔を、親父が死んだ後も良く思い出すんだ。なぜだか妙に悲しくてなつかしくてやさしい気持ちになる。
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花見の季節到来 個人的に正月からの気鬱の種も多少減りホッとするころ
右の五十肩が再発・・・かあ? ヒアルロン酸注射を受けていますが再発だから今のところ48%程度の改善にブルーな気分。
スーツに袖を通すときに重い戸を開けるときに激痛が走ります。右下で寝るとズッキーンキーンと痛みが湧いてきます
たまたまみていたテレビのフィギュアスケーターが観客の歓声に応えながら右腕をグルングルン振り挙げまわしている。
脚を開きのけぞり、左手に花束掴んでバンザイしながらスムーズに横滑りしては歯を出し極上な微笑みをうかべておりました。
五十肩(もうすでにごじゅうかたというようなトシではないにせよ)の痛みにうめくこれほどな不幸でいる自分に
それはそれは幸福そうな姿をみせつけられて、な~んとも切ない気分になったのです
幸福な時に不幸な人をみるようなときの気持ちとは全く反対なのであります。
こう言ってはなんですが、幸福なときに不幸を見るとワタシの心は安定するようなのであります。
惨めで不幸な時に幸せいっぱいの人を見るとワタシの心は傷つき、悔しく妬ましく、いじけて、更に不幸になるのであります
そう、ワタシは浅はかであさましいのです
ワタシは小人物的かつ卑屈なのであります・・・
こんなことは、ま、さておき
30分程度の簡単な運動で介護を予防するという勇ましくもアヤシイ広告をみてびっくり。
介護されないような身体になるという。そのための簡単な運動ってホントにあるのですか?
もしあるんだったらどうして大学医学部や整形外科学会やリハ医学会で指導したり処方していないのでしょうか。
月末の整形外科の研修会で、年取って腎機能が悪くなったらカリウムが多い野菜の摂取が制限されるのに、
患者が青汁飲んで弱った腎臓をさらに悪化させると聞きました。
これに対して腰部脊柱管狭窄症で処方するリマルモンはそもそも腎血流量を増やす腎機能障害の治療薬として開発された経緯があるとか。
確かに青汁でボケてる例を結構みる一方、リマルモンで腎機能が改善した例をみます。
医学は知識ではなく経験です。熟練の医者がびっくりするような体操、健康食品の広告が氾濫していますが、
運動しなくても青汁を飲まなくても日本画の先生、宗教家、書家、活け花の師匠さん等々、長生きを楽しんでおられる高齢者が多いのですね。
自分の人生を有意義に気楽に生ききることが大事なのであってお金出してまで、したくもない運動をさせられたり、
怪しげな健康食品に老後不安の軽減を期待してすがるような年のとり方はしたくないとつくづく思ったものです。
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ああ~もうおわってしまった。ことしも大したことなく過ぎちまった
ゴールデンウィーク!せっかくのビッグホリデー。
前半の飛び石連休はなにしよっかな、と思いつつなんにもきめられないまま過ぎてしまった。しかしまだ中盤だ、これからサ
5月3日の土曜日からが本格的な連休なんだ、楽しもう!と思ったのに・・・終日のテレビ三昧で夜ふかしも夜明けまでのていたらく
5月4日は起きたときは夕方。一日が終わりかけていたではないか。どーせどこもいっぱいサと結局、わずかな残り時間もラジオ新聞テレビ三昧してしまったのであります
さーて5月5日のこどもの日。今日こそどっかに出かけないと。まずは家を出ることからだ
根性いれて電車を乗継ぎ横浜ガーデンネックレスに行きましたヨ
中華街出口から山下公園、そこから世界の広場に人形の家、フランス庭園の坂を登るのぼる。海の見える公園まで出て、
イギリス庭園の館まで行ったら、脚がガックガクでもう動けない
帰り道、ごった返す中華街で腹ペコでさ迷うはめになった。人混みの中一周しても店が決まらず、もう半周して本当に疲れ果てた
もう歩けませんワのところの、どーでもいいワの店のどーでもいいヤコース料理(一人前3,980円)をたのんだのです
これがです、結果的に二人分の支払いに一人前の内容で味が半人前でまったく良くなかったのであります。
アルバイトがスマホ片手に机にドンとつき出してくる皿に載った冷めた料理がそれぞれたったの二口三口分しかない。
昔は食い残すほど出るのが決まりの中華料理は今になっては、
北京ダックなんか小さすぎのダウンサイズが二かけら。一気に5秒で飲めるくらいだから、8秒後に何食っていたのでしょう?思い出せない。
これは生ゴミが出ないSDGsでかい?デザートの杏仁豆腐がなかなかでてこない。デザートが終わらないと会計できないから
デザートにしてくださいって言った。そうしたら店員がスマホもった手で髪を梳きながら
あら、スイマセン・忘れてマシタって・・・もうヤダ、なんか言ってもしかたないヨ。
店をでてすぐのコンビニの菓子パンがとっても美味しく見え、二個を買って自販機のお茶で、路端でしゃがんでうまいうまいと食べたのサ。
それで6日は・・・なんてこった!朝から夜まで本格的な土砂降り強風。すごく寒いではないか。終日家の中にいたぜ。
夕方孤独のグルメをみたら涙が自ずとでてきて、ワタシはこの年になって哀しみの嗚咽というものを知ったのです
日本国民だけでなく海外観光客が一斉に押しかける観光地で渋滞混雑混沌粗雑粗末に出会い落胆するのだろう
どんな料理だそうが待たそうが、そこそこ売りあげるような安っぽい商法に慣れた店が増殖、待ち構えてるのか
味もサービスも量も、どうしようもなく落ちていく
ほんとここまでできるのかと思うほど小さな北京ダックを一口で頬張る私が本当のカモだった
いい店も沢山あるとおもいますが、今回の体験からはもう二度と・・・
「中華街 うまい まずい」と検索、要約すると・・・横浜の人は中華街で食べないの、ああそうだな、と
来年こそ早めにか遅めにか、とにかく仕事を放りだしてでも、早めに方針と予約をしてだなあ、ちゃんと満足が行く休日を過ごしたい・・・と、今年も思ったのであります
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ベトナムの話と聞いて覚えた短い話・・・・
広い河の向こう岸にわたりたいウサギさんやキツネさんはカエルさんに頼んでその背中に乗せてもらい向こう岸にありがとうと言って渡っている。
あるとき、サソリがカエルのところへきました。「お前の背中にのせておくれ。あっちの岸まで行きたいから、乗せておくれ」。
カエルは「嫌だよ、おまえの本性は毒針で俺を刺すことだ。だから俺が死んじまうから嫌だ」
サソリが「河を渡っている最中にお前を刺したら俺だって河で溺れて死んじまうだろ。だから刺したりするわけがないよ」
それもそうだと思った気のいいカエルはサソリを背中に乗せて河に泳ぎだした。
河の真ん中あたりまで来ると
サソリはその本性でカエルの背中を毒針で刺した。
それで、カエルが死んだからサソリも河に溺れて死んでしまった。
そんななはし。
【梅の季節 リターン】
二階の階段の踊り場まであと三段というところで医院前のお宅の庭で紅梅白梅が咲き始めているのが窓をとおして見えたのです。
たまたま踊り場に患者さんの家族の方がおられました。
別にしなくても良い愛想笑いなんかしながら、最後の一段というところで
「ほら、梅がさいていますぅー・・・」なんて指差したりしたものだから
段差でけっつまづいて前のめりになった。
危うく右膝を打撲しかけたが、右つま先を軽くうっただけで体勢をもどせたのだから、まあまあの線だった
・・・のではないかと思っとる。
だがしかし、患者さんと家族の面前でこけそうになったワタシの医師としてのプライドが損なわれてはいないだろうか、
かつワタシの下半身の弱体をもけどられずに済んだのであろうか。
御家族の目前でけっつまづく白衣のワタシはどう写っていたのであろうか
全部なかったこと、みなかった・・・些細な事ゆえ見過ごしお忘れになっていただいたであろうか
だるまさんが転んだってのがあってもお医者さんがころんだ!ってのはねえ・・・気になることではある。
そんなことよりオレももう歳なのか、何かのばちなのか・・・ええい!んなこといつまでも考えとってもしかた無い。
そうだ、そんなことは忘れよう。
さて
湯島天神の白梅が盛です。思えば毎年、時期うまく入試の前に咲くものです。
これ、合格発表のあとになってわんさか咲き出すようだったら、 天神さんのお守りの売れ具合やらお賽銭のたかに響いてくるだろうね、多分。
合格発表があるということは不合格も明らかにされるわけで。
不合格だったひとのまえで、 これみよがしに合格者を盛大に祝うように咲く一方で、
さも落ちたものの心情はお構いなしにうらはらな咲きかたをしたら、 フン・二度と頼みにくるか!なんて八つ当たりもされかねません。
こんなこと言って、"また"神罰の怒りに触れるとも限りません。
しかし、一旦そう思ってしまったのを正直に言わずして まげて言わないほうがよほど良くないのではなんて、ね。ま、仕方がないですな。
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[証明写真 リターン]
運転免許やパスポートをとる際に必要なのが証明写真です。最近はマイナンバーカードの申請時に必要でした。
とにかく"私"が何者かを示さんとする場合に、証明写真が必要で撮らねばならんのです。
しかし、証明写真に写った自分の顔にみんな満足されているのでしょうか?
ほら、やっぱり。出来上がった写真の “でき”を見るのがみんな怖いんだよね。
それでサ、常にがっかりするか、もうそういう顔で仕方がアリマセン、これ以上どうすればいいんですかって
諦めの方も結構多いと思うわけですよ。
無表情かつ無愛想な仏頂面を真正面から撮った写真ですからね。
昔の清酒の宣伝の美人画みたいにシナつくって、にやっとなんかできないでしょ。
あるいは、テンガロンハットをあみだに被って、右手で持ったピストルの銃口の煙をフッと吹いて、
左眉と左口角をつりあげたとこなんか撮らんでしょまさか。
それでも良いんですなんていうのだったら、おれなんか飛び上がりざま佐々木小次郎の脳天を撃つ武蔵の姿で撮ってほしい。
そうでなかったらボルサリーノのアラン・ドロンと同じ、シルクのマフラーで縞柄ダーバンのスーツ三つ揃え、
高級外車に寄りかかるワタシを撮ってほしい。そうそう、よくできたかっぱの甲羅着てギザギザに切った濡れ髪の上に
白いお皿がのっかってるかつらかぶってさ、水かきがついた両の手を前にうらめしーってたらしてんのとかでも良いぞ。
波止場で船止めに右足載せて、セーラーバッグを粋に右手で背なにして、左手にマドロスパイプ咥えて
左斜めのカメラ目線で・・・撮ったっていいだろ、オイ。
いかん、今回は早くも妄想がひどくなってきた。
証明写真を正服、正面で撮らねばならんということにもどーす。
この時、鼻の先を両目で睨み下唇を突き出して鼻先にフーっと息を吹きかけていてみなさい。
交番やお風呂屋さんでおなじみ、あの指名手配写真か昔はやった冒険探検小説の怪人みたいになる、のではないかと思うゾ。
そうじゃなくて平気で、あら、きれいだわ~、いつもの私の通りダワって云う人居る?全く居ないとは言わないけど、
そういう人って稀だと思うね。
頭悪くなければ。それとも歌舞伎の荒事並のあっつーい化粧でもしてなければ、だ。
もしワタシがだ、いついきなり撮られても、写真の自分の顔に大変満足がゆくような男だとする。どっから見てもどうだ、
いい男!に写って問題ない顔持ってたらばだ、もう下赤塚なんかに居ない。ハリウッドに行ってる、すでに。
ブラビとか、ショーン・コネリーなんかと並んでるはずさ。だけど、全くそうなってないじゃないか!だからここに居るんだ。
証明写真を撮るたび、オレがどれくらいの覚悟が必要か知ってほしい。
出来上がりの写真はいつも、デって出来上がり写真のシート出口からおっこってくるのだ。
その時にこっち向きで印画面がチラと見えたようなとき。思わず息を飲む。だーれにも見られたくない。
破って捨ててしまいたい。そう、さんざん思うがお金がもったいない。こんなに金かけて(600円!)こんな写りか!と怒鳴り散らしたくなる。
でも他人に気づかれ何荒れてんですかって聞かれてだな、こ・この写真を見てみろ!怒りたくなるだろと言ってみな。
そうですねー、なんていわれてみろ、惨めすぎるだろおい。
いやいやワタシなんかも同じですよなんてなぐさめるその人の顔がオレ並みの顔だったら尚更辛くならない?
そうだったらやだもん。ぐっと堪えるのさ。
ああ、せめてもう一度撮り直したならば・・・なんて思うでしょ。できれば二三回撮ればさ、少しはマシに撮れるとか思うでしょ。
そんな淡い期待を持つようなヤツもいるに違いない。けどね、ワタシもそう思ったこともあったの。思春期までさ。何回も撮ったけどね。
結局わかったのさ、撮り直しの写真の方がかえってダメじゃないか!ようするに撮影回数で解決する問題じゃないことに気づいたんだ。
ソウサ、自分の顔がわるいんだあ!ワー!なんて感情的になったこともあった。
ワタシの自意識と美意識がワタシを苛む。他人が慰めても、自分でどう思うかだろ。
結局、やな顔してんだよって結論にオレは比較的若い時に達したのさ。
なんでだか知らんけどな、後悔に近い気持ちにもなるんだぞ。後悔であるならばワタシの過ちであるならば許してほしいアヴェ・マリア!
それにほとけさん。それだけじゃ足りん?それじゃあ、お不動さんに大師さんにあまてらす。
そうだオオクニヌシさん!これだけのカミサマに頼んでも、悟っても証明写真の負け犬根性が消えたりしません。
結局、ワタシの容姿をすべて諦め受け入れるしかないと覚悟を決めるべきなんだ。
それでもダ、諦めたけれどもダナ。自分の運転免許証をみる度、なにかを蹴っ飛ばしてやりたくなるそういう衝動がこみ上げるんだ。
結局は諦めきれないのだ。そんなこと普通できんのだ。
この衝動のあと、よくこんな顔して外歩けたモンダという恥ずかしさが湧き上がってくる。
皆々様こんな風体であなたの面前に居るワタシを許してって卑屈な気持ちになるのだ。
己の写真による不快は運転免許証だけに限りません。
だれかが無邪気に撮ったスナップ写真の中のおのれの姿を見つけたようなとき。まず失望、
次に恥ずかしさ最後に後悔と残念な感情がまぜこぜにワタシの心を蝕むのだ。
たまたま光の当たり具合が悪かったんだ、角度のせいじゃないのか?
写真機がよくないのかい。スマホだと歪んで見えるんだぜ、なんて都度考え己を慰めるのではないか。
そういう時に限って撮ったやつ、ホラホラここに写ってる!よく撮れたでしょ。なんて言いやがる。
おれは対面ってのがあるから、あ・ありがと・よく撮れてんね。大事にするよなんて言うでしょ。
すると脇のやつが、ホーントよく撮れてんね、ああこっちにワタシが写ってるなんて陽気な声出しやがって
はしゃいで。おれこころんなかで、テメ・ぶっとばすぞ・オレだけなんでこんなにみっともなく写しやがって。
と、思うのだが、端っこで写っている犬が見えるとおりに、背景の松の樹もその有り様で写っているじゃないか。
じゃ、おれだけ光線とか写真機の不都合が起きているってのかい?
もしかして、オレになんかいたずら背後霊がつきまとってる?
写真取る時にオレの顔の皮をぎゅってやったり、引っ張りにきたりするんじゃないか。
それならば、オレの変顔は霊魂のせいなんだ。
そうか!そうなんだ~・・・なんて思えるかっ!
いずれにせよ、写っとるのは真実のワタシではないと信じたい。
少なくても本当に見えてるワタシでなかったらと願うのだ。
たまたま写ってるそいつがする不自然なにやけ顔は、オレに似ている奴がそうしているだけなんだ。
しかしだなあ、そっくりってことはワタシがそいつと同じ顔してるってことだし。
なんと情けない気持ち・・・この嘆きを是非、雅に表現してなぐさめてもらいたい。
できれば芭蕉か子規に頼んでみたい。すこーしは気が楽になるかもしれん。中也さんならホラホラこれがあんたの顔だよって、か。
太宰だとこんな顔で御免なさいです。なんだかどんどん表現がキツくなっていくじゃないか。
ワタシは今日まで生きてみました そうして今わたしはこう思っていますなんて、拓郎さん。すくわれないなあ。
ひとりこっそり斜め45度、照明に気を使い、何回もなんかいも自撮りしたこともあるけど・・・。
結局、この世に自分が気に入る自分の写真なんか無いと分かりましたのです。まったくない。無なのであります。
一切皆苦(すべてのあたしの行為は無でツライ)であります。
ワタシは、このままこのツラで生きていくしかないのでありマス
イボイノシシだってハダカデバネズミだって、あんこうだってなまずだってだ
自然界のなかの顔なのであります
そうだ、顔だと思うからいけないのだ
そうだそれならば。いわばオレの顔は風景なのだ!そういうことにしよう
風景には海山空地、花実草木、河川湖沼に平原草原雪原地雷原に畑畠水田いろいろあろう
崖や荒廃地にゴミ捨て場から汚染地帯だってある。ゴミが散らかった砂浜に誰が置き忘れたか履き潰したゴム草履・・・
それくらいなもんだと、そう思っとったほうが良いじゃないですか?
そうおもえるの?そうおもってもだなあ、なんかちっとも気持ちが晴れないのよね・・・
最近ちょと、ヒマなので頂いた東京銘菓のひよこを何年ぶりかでコーヒーとともにいただいたら おいしかった。
でも、前よりちょっと小さくなったようだ。それに、甘みが必要以上に強いなんて思ったゾ。
インバウンド仕様、外国人様向けになってきたのかな
さりとて、銘菓ひよこがデカければ良いのか、甘くなくて良いのか?ということは言いません
まさか、おにぎりみたいな大きさにしましたし甘くないデスけどって出されてもだな、ワタシとしてはよくないと思う
だいたい砂糖なしのコーヒーにあわない。お茶にだってだ。甘さにも大きさにも加減ってものあるの・・・なんて思っていたら
今、売っているひよこの五倍の大きの一個六百円を越える大ひよこがあるんだって。
その場合、大きいひよこなんて言ってる場合ではないですかね。デカさから言ってすでにニワトリさんではないですか。
ひよこは、ヨチヨチ・ピヨピヨ小さく可憐なのが、あっち行ってこっち来てするから可愛いんです
それが、名前がヒヨコさんなのに、ニワトリの大きさになってみなさい。それ以上もっと大きくしたら、セントバーナードくらいに。
そういう体格になったらもう、ピヨピヨなんて可愛いくないですよ。生きていたらこっち睨んでグワーッ、オン!
なんて吠え、つばなんかペッペ、ペッペ吐くに違いない。ずんずんこっちに近づいてなにすんのかと思ったら、跳びかかってくるかもしれん。
可愛いどころか恐ろしい
SNSのわるくち拡散より怖い
そうなったら、もうコーヒー片手に食べたいなんて思えないよ、なあ
ま、そうであっても所詮はお菓子。生命無いからね。動かないから心配要らん
ギャル曽根だと、食い物だからどこまでも食いきるのです。
それが、こんどのごちそうはでっかいひよこですが、こっち向いて歩いて来ます。生きてます。
ぜんぶ食べてくださいって、なんて伝えてみなさい。絶対出演拒否されます
ああ、なんだこんな妄想!ヤメ!
五倍大きい銘菓ひよこの話にもどーす
その場合、商品名としてはニワトリさんのほうがあっているのではないですかね
しかしあんた。ひよこって名前が可愛いから買うんですよね。
東京銘菓ニワトリさんで売っていたら、お父さんがああ、今夜は家族に買って帰りたいなあなんて思いますか?
玄関に出てきた娘が、一抱えもあるニワトリさん抱いてだね、ああかわいいなんて言わないよなあ
もし、派生系でパンダひよこなんてでてきたら、
パンダのようですがひよこですって・・・それで良いわけ?
そうなると、もはやひよこって銘柄はふさわしくないですよね。見てくれから見てパンダさんで売るのが適切ではないか。
グローブとバットもたせて大リーグひよこさん、なんてね。つくる?・・・ダメ?・・・でしょうなあ。
しっかし真冬の寒さの中、ヒマだからって、何考えてんだろなオレ!
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2025年1月も三週目、大相撲初場所
見どころは国技館観覧席の綺麗どころと、大村崑さんやイエス高須先生、時にデビ夫人や紺野美沙子さんの存在確認。位置関係について思いを巡らします。
白房下の面長の70代ぐらいかなあ、の御婦人。毎場所連日お見受けします。誰なんでしょう?
1月19日日曜日。横綱を狙える位置まで来ながらもなかなか白星がでない。横綱琴櫻が祖父の名をもらって頂点を越えてしまったか琴櫻。
対するは、やはり祖父が横綱大鵬の王鵬は最近上り調子だ。言ってみれば相撲界のサラブレッド、プリンス同士の対決。琴桜が勝ったものの
内容に技と動きにさすがと思わせるような冴えがみられず・・・今場所は横綱無理でしょって感じの結果。
一方やる気満々、制限時間いっぱい右手でまわしをパンパン、パパンのパンッにもう5回パパンとうって、すごい形相。相手を睨む目が怖い豊昇龍。
昨日、黒星食らったからな、今日は負けるわけにいかん。赤鬼の気迫。これに対してはなんだかやる気がない感じの正代だ。制限時間いっぱい。
立ちあいすぐに豊昇龍バンババンとぶちかます。正代その衝撃で2歩も下がるが、長い腕でぶちかまし返す。突っ張り合い。
そこから正代、いきなりゼンマイ仕掛けのスイッチが入ったか。ズッパバン、ズバンのバン。つっぱりかえす手の五発目が豊昇龍の
左胸板の上に激しく決まった。豊昇龍右へよろける。正代すきも与えず一層激しく突きおしたからたまらず豊昇龍、土俵下まで叩き落とされたのだった。
場内やんやヤンヤの大喝采。この結びの一番、なぜか爽やかな気分になったのであります。
それで、自動車運転免許証って5年間有効なのであります。
更新時に撮る写真は、書類書いたの受付窓口にだして、はんこ貰って、お金払って、目の検査したあと、順番で座って撮ります。
座った途端にバシャって、ハイ終わり次の人ってやつね。
今から3つ前の免許証の更新の時だ。何考えていたのかヨレヨレのシャツで、更新の前日にいつもと違う床屋さんに行ったのね。
家に帰って鏡を見て、いくたびもながーい歎息。異様なうめき声にビーグル犬のさくらさんが尾っぽまいて犬小屋に逃げこんだ。
オレが何を言ったか、顔見てムッとしたのか。理髪師さんをひどく怒らせてしまったあとのような仕上がりになっていたのだった。
風呂屋さんとか交番の掲示板によく貼ってあるあの指名手配の写真。そんな風体の容貌に見えるじゃないか。
その顔の写真をみたら、性犯罪の変質者で傷害事件で逃亡中のヤツだと思われてもしかたない。
それも知的犯罪でも暴力的犯罪でもない、力はなく頭が弱い、四六時中変なことばかり考えているようなアブナイヤツにね。
要するにそんな頭髪と眉(眉毛切られたのそのときが初めてで最後だけど)の仕上がりにされた挙げ句、珍しく忙しく暑い日だった。
変な汗を大量にかいて、なんてことだ、ワイシャツのボタンを左でひとつ分とばして留めていた。
襟が危ないバランスのシャツ着てるなんてまったく気づかず運転免許センターに向かっていたのですヮ。
オレもともと容姿には全く自信ありまセン。今日は事情があってアブナイ人に見えるでしょうがちがいますよ。
まともなのです、そうみてくれないと嫌だなあーって表情丸出しで免許センターの入り口をくぐったのさ。
写真撮影をしてくれる担当の方は、それみて最近はこんなおしゃれかなとでも思ったのでしょう、そのままパシャ。
眉が薄い変質者的な写真がくっついた免許証を持って帰ったのだった。これとむこう5年間お付き合い?ごめんだなあの出来だった。
以後この免許証を自分であえて見る勇気も失われた。
われながら、イってる変態がにやけている風にみえるんだ。
携帯を買うときに、「身分証明は運転免許でいいです」と言われたから免許証を渡した。
それを見た携帯ショップの若い女性店員、一瞬顔がこわばった。三回ばかりオレの顔と
免許証を見比べてた。瞬間、警戒するような表情を浮かべた。
見れば身を固め、ああ間違いないですと震えるような声で。変にオレを刺激しないように精一杯配慮してるようだった。それは、たぶんだ、家までつけられたり、
いたずらされたり、乱暴されたりしないようにと思ったにちがいないのだ。そんなわけで、控えめな声で言ったにちがいない。
そうじゃなかったら、この人そういう感じの写真撮られたのネ、かわいそう。ワタシも免許更新のときくらいはきちんとした身なりして行かないとね。
なんて思ってんだろ、オマエ!なんて、ひねくれヤサグれ怒鳴りちらしたくなるよな気持ちを味わったのサ。
だからオレ、そのあと5年間携帯を買いなおさなかったな。
別に違反なんかしないのに、車止められて職質うけたりして。オレそういうときにビクビクしてしまう方だから。
おまわりさんが、よけい疑うだろうな。
免許証見せろって言われ、おどおど(ホントなにもわるいことしてないのに!)出して、それみられたら、
パトカーに移され、指紋とられ、何するつもりだ、どこに行くんだ、事情を話せなんて質問攻めにあうんじゃないかと、
要らない気をもんで運転してたのサ。その五年間。
皆さん、免許更新の際は急いで行かないことです。更新時期がわかったら期限ギリギリに行かないこと。
写真撮影用のキチンとした服装、姿勢をすること。それで不安があるなら、いっそのこと美容整形外科に行くことも視野に入れて・・・いいのか?
<クリスマス話 リターン2021>
クリスマスに、にわとりを食べるのは日本とブラジルにあと一国くらいだってね。
アメリカ人だったら七面鳥です。ニワトリが七面鳥顔負けの大きさだったらどうでしょう。
一羽で一家5人分の食いでがあるけど。鳥類は羽でおおわれていますからね。膨らんで見えるよ。
大きいやつは、柴犬とかプードルなんか顔負けの迫力になるでしょうね。
そんなのが放し飼いで道路をほっつき歩きはじめたら大問題。
中には凶暴で性格が悪い奴もでてくるでしょう。お年寄りを追っかけまわし、突っつき、蹴とばすかもしれません。
そういう奴に限ってクリスマスに丸焼きの姿でテーブルの上に載って出てくることもなく、食われないまま生き残るものです。
餌とトシばっかり喰ってやたらでっかくなる。要らない体力をもて余して普段は小屋の奥に引きこもっている。
食う寝る、片っ端から雌鳥を犯しまくる。それ以外、な~んにもしないでひがら1日こっちを睨んですごい。
飼い主もまさかこんな子になるなんてと嘆くばかり。大きくなるにつれ、ひねくれがひどく、扱いにくい性格が露骨になります。
基本的に荒んで、ひと目にも恐ろしげ。どうしたものやら、わからなくなる。二、三年したら変わってくれるかなあ、
なんて思っているうちにどんどんひどくなっていきます。今どきの児童教育の引きこもり専門家が
「本人が気づくまで見守り、間違いに気づいてくれるまで待つのです」なんていうから。そういう言い草にのって放っておいたのは間違い。
どんどん増長。鳥小屋のドアが容易にあけられない。なにか細工でもしたらしい。日に何度か中から大音声で餌を要求してくる。
知らん顔していれば、なおさら暴れ騒ぐしまつ。
世間体が悪く、とにかく大人しくしてさえくれればと、ついつい言われるがまま餌を与えてしまって、なおさら横柄にしてしまった。
意を決して、今年こそ小屋から引っ張り出し、アメリカに出荷してやる!なんて、ヘルメット、防護メガネに軍手姿で小屋に入り
・・・でもしたらもう大変なことになります。
育ての親(っていってもホンモノの親ではなくて飼い主のことよ)に恩をかえすどころか家庭内(鶏小屋)暴力が二度、三度。ついに毎度となって
手が終えない凶暴さ。ケダモノになっちまったそいつに飼い主が、オマエを殺すがワシも死んでやる!と、ピカピカに砥いだ大鎌携えて
鶏小屋に決死の突入をこころみたのだが。
しかし、ここまでデカく悪く凶暴化したトリの返り討ちにあってしまう。流血の大騒ぎ。ここまできたらついに警察沙汰になるかも。
悩んで猟友会に相談したら、鶏でしょ、ニワトリ小屋なんかで発砲して皆の笑いものになりたくねえ。鶏くらい自分で〆な、と馬鹿にして笑われるばかり。
じゃ、来てみてって猟友会のおっさんを無理やり連れてきた。え―っなんだこりゃ。こんな怪物オレの鉄砲じゃとうてい太刀打ちならねえ。
仕留める前にこっちが危ねえ。こんなやつは北海道の熊撃ちに頼まんといけん、なんてなるな。
それで旭川の熊撃ちのクボタさんに依頼。はなからオレの鉄砲はな熊うちに使うのサ。ニワトリなんか相手にしないべサ。
馬鹿にするでね、と喧嘩になった。しかたなく噂に聞く秋田の熟練マタギに頼みこんだが。
ひとめみたマタギが後づさって、今までこんなの相手にしたことないべ、怪我させられねえうちにオラ帰る、って逃げてった。
飼い主が手をこまねいているうちに、やつが真っ赤なトサカをブルンブルンさせて小屋からいきなり走り出てきてハッと飛び上り
通りすがりのばーさんを蹴倒して骨折させる・・・ような事件も起きるかもしれません。
狂犬ならぬ、狂鶏ですな。イノシシや猿が出たーっていうより、とりさんがくるよーって言ったほうが怖いの。
夜ふかしばかりして、なかなか寝ない子どもに鳥さんがくるよーって言うとぱーっと布団入って寝ちゃう。
その凶暴鶏どうなったかってアンタ気になる?それがね、ちゃんと後日談を用意してあるの。
近所のヤマダさんの御長男のとこに7年前、南方の外国から嫁さん来てたの。
ナ-ヴァンナーさんとかいう名前でね。ちょっと知ってたけどそう付き合いもなかったの。
なんでも子ども七人で男四人に女三人。予定日ギリギリまで畑仕事してたってさ。いざ陣痛きたらさっと自宅にもどって安産だからさ。
来年の秋にもう一人産まれるって。こども家庭庁の三原大臣が聞いたら、涙流して喜ぶな。ヤマダさんち賑やかになって、おじいさんとおばあさん喜んでたと。
親戚のセツばーさんが児童手当なんか結構出るらしいよってうらやましがってた。
その嫁さん、三人目の子でお腹大きい時に、七反歩の畑をトラクターなしで4日で耕して。今年はそこで大根白菜人参にニラにじゃがいもはもちろん。
トウモロコシ200kgとキャッサバ芋に唐辛子、そうそうパクチーなんかも出荷してるって話さ。
ナ-ヴァンナーさん、好き嫌いなく何でも食べるって。2年前に野猿の害があったでしょ。あの年さ、
ヤマダさんとこのばーさん、サイトーさんの甥の役場の停年退職祝いの集まりで、何かの丸焼き持ってきたじゃない。
それみんなで食おうって。なんか小さなヒトのような手のひらがついるみたいで、なんじゃこりゃーっなんて皆言ったけど酒まわってたし
結構美味かったからさ、あっという間にごちそうさん。なんの肉って聞いてもばーさん、嫁さんが作ったんでなんだかわかんね、なんて。
後日ウチの子どもが、ヤマダさんとこの畑のあの柱の先に野猿のボスの頭がぶら下がってんの見たってね。その後は野猿なんか群れごと
寄り付かなくなったって。あれだけ被害を出していたイノシシも、嫁さんの匂いのする布下げておくだけでもう来なくなったって話。
ナ-ヴァンナーさん、今でも言葉はあまり通じないけど、すっげー働きもんだってね。いい人さ。
たまたま寄り合いで、ヤマダさんのじーさんにあの鶏にはホトホトこまってる。いらねえーって愚痴ったの。
そうしたら、翌朝息子さんの嫁さん来てさ。30分もしたら家に帰ってったさ。そんで夕方、鶏の精肉14.5kg持ってきてくれたの。
あれ?どうしたのあの凶暴鶏?って聞いたの。そうしたら嫁さん、「シメてクッた」。
そもそもチャボとか白色レグホンが、今くらいの大きさだから、卵とってきなさいと言われても平気なのだと思う。
それが4倍の大きさになってみなさい。目玉の大きさも4倍ですよ。
あのジュラシック・パークのティラノ様みたいなブツブツの赤い皮膚の裂け目がパチパチと瞬きするでっかい目ん玉。
輝く丸い光輪の中、あたりを写す真空の暗黒の瞳。これが無表情かつ恐しげで”悪いやつ”的視線を放つ。そんな目が睨む。
ボディも七面鳥みたいにカラフルになってくるんじゃない。
そんなガタイで恐ろしい面構えの上、鳥は表情が読みにくい。っていうか、素人目に怒っているのか笑っているのがわからないじゃないか。
そんな、何考えているかもわからんでっかい獰猛な鶏が巣に座り、じっとこっちを見てる。
奴の玉子に手を伸ばそうとした時、そんな目で睨まれたらオレ、すくんじゃうだろうなあ。
大体、おのれの卵をだよ、人間がかってに取ろうとしていたら、黙ってないよ。怒るわな。だからこの際すっごく攻撃的になると思うわけです。
そりゃあアメリカ人だったら、平気なんだろう。でっかい七面鳥の卵をとってきたりするのなんでもなさそう。
190センチ、120kgの大男のお父さんビルが、息子に「ティミー、七面鳥の卵とってきて」なんて言う。するとティミーが
オーライなんて平気で武器も持たずにスタスタ行く。それも朝起きぬけのパジャマすがたで。それでいつものように麦わら帽子の中に卵を入れて
かえってくるんだね。
しかし、七面鳥の中には卵取られて怒るやつもいるはずだ。
やたらでっかく育ってしまった雄鶏が、おれのオンナ(雌鳥のことですけど)の産んだ卵に手を出しやがって、なんて怒ったりするかもしれん。
ティミーを突っつき、飛びかかったりした日にゃ。怪我して泣いてかえってきたティミーを見てビルが怒る。トリのくせしやがって黙って食われていれば
良いものを、なんてビルの唇が歪む。
「オー・ティミー、可哀想に。なんてこった」なんて、ライフルに弾込めしつつ、玄関からのっしのっしと出て来る。
「こいつかオマエを怪我させたやつは」って言うな。ティミー泣いて頷く。次の瞬間、ズッドーン。すべて解決。朝からフライドチキン山盛り!
ビルじゃなくてブルース・ウィルスだったらばだ、ピストルぶっ放してるな多分。
ともかくだ、クリスマスに鶏がだ。
昔、本で見たドードー鳥とかキウイーみたいな思いもかけないような巨鳥だったら、もうかなわない。
ダチョウだったら、結構テレビとか見て知ってるからね。攻撃受けたら首を、こう両手でしめる。ギュッと。
頑張って離さない限り大丈夫な気がする。 最低目や、ほっぺたを突っつかれて血がでるようなことだけは避けられるような感じがする。
しかし、油断したら蹴られておおけがするな。ダチョウは食わないようにしよう。
フランスでは鳩なんか結構食べるらしい。
と言っても 公園にいるやつを網で捕ってきて食うんではないでしょうな、絶対に。食用の鳩を作ってのことに違いない。
エスカルゴもそうだよな。 医院の庭木の葉っぱの上をのーっとベタッと、時にはコンクリート塀に重力を無視したように斜め上に、
粘りけの跡つけて 登っていくようなでんでんむしではなくて、高級レタスで育てた良い育ちのカタツムリを食べるのだろうから。
クリスマスには鶏のももの焼いたの、リボンついて、照り焼きの普通のやつ、食べるのがいいね。
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北町中学校の敷地は真四角。東の校門から真西の裏門のむこうまでがよく見通せたのでした。
校庭で体操をしていると裏門から早引けしていく生徒と親が見えることがあった。
北の辺に田柄川が流れている。この川はしばしば台風で氾濫した。その都度、学校が休みになったり半ドンになるのがうれしかった。
中野先生 「ハイ。つづけてぇ! えー・びー・しー・・でー・いー・えふ・じー、です」
中野先生 「はーい、えー!」 生徒 「ゑー !」
「違います、えー!でっす」 生徒 「ゑー !」
「何度言ったらわかるんすか。えー!です」 生徒 「えー」
「びー」、「ビー」。しー」、「シー」。
「ハイ!でー」です。 「はい デ-」・・・・。
中野先生 「できましたね。“でー“は王貞治さんのリポビタンDで有名ざんすからね。
私はアメリカ軍で英会話していました。私ぐらい英会話がうまくなってくると早口言葉が上手です」
中野先生 「早口言葉ができないと英会話がうまくなりません。
い~ですね?ハイ!うりうりがうりうりにきてうりうりのこしうりうりかえるうりうりのこえって、言えるですネ。
すごいでしょ、あんたやってみなさい」
生徒「うちうりが・・・・」
早口ができないから英語がうまく話せないのだナ、と納得していたのでした。
中学校の英語の中野先生の授業はこのようにABCを皆で唱和して始まって終わっていたのでした。
アルファベットですから難しいことはまったくない。いつもいつもABCしなくてもいいのに決まっているのですが、
まずは中野先生を満足させなければいけません。誰も彼もが英語の授業の始まりと終わりにABCからXYZまで声出して唱和していました。
そういう中野先生に対するみんなの配慮があって、先生の英語の授業は毎度穏便に済んだのでした。
そのかわり、よそ見したり、横の生徒を突っついたり、指のささくれ見つめてぼんやりしていたり、
櫛で髪を梳かしていたりしていてもまったく怒られることがなく、気乗りしなくてもなんとなく唱和さえしていればただしく授業が終了したのです。
そのような授業を受けた生徒たちは卒業しそれぞれの進路に向かって社会に出ていったのです。
卒業後ワタシはひょんなことで進学校に進めました。高校の英語の授業の初っ端、ワタシを除くみんながDをディーと発音することに気づきました。
あれ?“でー”じゃねーのと思ったワタシ。先生の発音の間違いを指摘して、クラスのみんなのハナをあかしたい、歓心を得たいと思った。
しかし、辞典で有名な国文学者さんのお孫さんがいたり、多くの文化人、政治家を輩出した学校だ。
だいたい北中なんかの英語の授業の程度は低く、いい加減なのであって、この高校の授業の方が程度が高く正しいことに思い当たったのです。
次第に間違った発音を教えられていたのではないかという疑念があたまをもたげたのでした。
そして、(足りない北中出のアタマで一生懸命)よーく考えぬいた結果、中野のやつが嘘を教えやがったことに気づいたのでした。
もしも“でー”じゃねーのなんてあほな北中出のワタシが 将来東大を約束された優等生の面前で、
さも得意げにえらそうに言い放っていたならば、オレの馬鹿は丸出しだったにちがいない。
自尊心はズッタズタ、恥ずかしさに劣等感に深く傷ついたのだった。
以後、そうした悪い方の状況が生々しい映像として脳裏にわきあがるたびに、おれはうめき、嘆息をくり返した。
突然やり場のない恥と怒りの感情がこみ上げ、沸点に達した感情が暴力的になり、
いきなりそこいらの塀などを殴ってはげんこつの皮が剥けて、たいそう痛かった。
そういうこともあって、中学まで天真爛漫だったワタシは思春期とともに引っ込み思案になってしまったのだった。
北中の2年の夏は日照りで水不足で、どういうわけか朝霞のアメリカ軍の給水車が中学の校庭に昼休みに来た。
近所の人が水をもらいに集まってきた。うちとか近所の古い家には井戸があったから水不足なんか感じなかったが、
アメリカ人が来るという噂で興味津々。バケツなんか持ってたくさんあつまった。サンキューとかハローとか遠巻きにして アメリカ人と視線が合わないようにしながら、とにかく知っている英会話を一方的に発した。 ワタシもガイジンとなにか話したい!会話して皆と差をつけたいぞと思った。
集まった人たちは初めてガイジン見て興奮の極地。 アメリカ人の周りを取り囲んでワイワイ。最初は黙って我慢のスマイルしてたガイジンがどういうわけだろう、 皆の方に向かうとなんか喋りはじめた。皆いっせいに引き下がった。大方がイエース、 イエースとかの単語をつぶやきながら視線をそらして後ずさった。
なに?なんと言ってるんだ?エイゴだからわかんねえ。 え?誰か英語できるヤツいないのか?
大騒ぎになった。そのうち、そうだ英語の中野先生だ!という声が聞こえた。それでだれかすぐに中野先生を呼んでこいということになった。
皆がそうだ中野先生しかいない!と先生に期待した。校庭のみんなが一斉に南の職員室の窓を見つめた。
中野先生!と何度も呼んだ。 しかし、中野先生は職員室にいなかった。
だれともなく校庭の左端に目をやると、中学校の裏門から先に続く道の中程をあっちへ急ぐ人が見えた。
いつもの白いシャツ、短く刈り込んだ白髪で、間違いない中野先生だった。
その姿が小走りにあっち方向に小さくなって行くのをみんなで ポカーンと見送っていた。
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相撲、九州場所。御当地の大きな声援の中、平戸海と美ノ海が今ひとつ元気がなくて残念だった
千秋楽の24日の結びの一番は大関・琴櫻に豊昇龍。立ち会ってマワシを取り合うがお互いなかなか得意の形にならない。
マワシをとりあうこと数秒経過して、ちょっと急いだか
豊昇龍今場所3回負けがなかった必勝の、右かいなで琴櫻の左上腕を抱え込こんでの強引な左への投げ。これで決まれよとおもったところ、琴桜
が右片足の右回りケンケン二回でバランス復活して右手で突き返したのをまともに胸でうけた豊昇龍、右膝がガクッと崩れた。
次の瞬間土俵にうつ伏せになった豊昇龍。白いマウスピースがちらっと見えるほど歯ぎしりの悔し顔。
琴桜が大関・豊昇龍と相星決戦をはたきこみで制した。14勝1敗の成績、初優勝を果たしましたのであります
さて、相撲中継のみどころがたくさん。関取だけではありません。行司に呼び出し、勝負審判に親方衆に観覧客ともりだくさん
投げられた関取が行司を巻き込んで、土俵下へ転落したあとの始終も良いものですが
大きな関取が吹っ飛んで行司を巻き込んだばかりではなく、落ちたさきが土俵下の親方審判に直撃するのも見どころ。
苦痛でうめく親方の顔に起き上がれるがどうかの一幕がワクワクもの。そばで、スンマセンと
謝る関取の顔つきなんかもいいね。そしてもんどり打って転がってった行司の苦悶の表情、歩きようなんかゾクゾクいたしますね
今場所は中日で御嶽海が土俵下へ転落後左肩と腰を強打し、担架で運び出されましたが、贔屓力士なので心配になりました
こういうアクシデンタルな模様はそうそう見れるものではありませんが、見れたらラッキー。あらかじめ全試合を
予約録画しておくべきです。あとになって何回か繰り返しみて鑑賞しましょう。できれば話のネタに・・・なんてどんどん落ちていくなあこのへんで
やめとこ
やっぱり、とっつき一番は綺麗どころです!今場所、いないとは言わない。が、名古屋場所には劣るか。やはり蔵前のほうが多いのではとか。
これ見どころですよ
それ以外に・・・数年前まで正面砂かぶりの第一、二段で画面左の赤房下か中央に大村崑さんとかヨネスケさんがいらっしゃいました。
左っかたにイエス高須先生。少し高いところの左か右に元NHKの解説員さんの四角いお顔。見慣れた御常連さんです
和服の綺麗どころにも期待しますね。さーて、今場所はどうでしょうか・・・居ます?みなさん
向正面の一段目の真ん中近くと、二段目か三段目の左通路近くに御着物のそうとう熟されているお方が三人おられる
・・・お着物は金襴豪華、白は絹のしろ、赤は紅、漆黒の黒で、相当高価な貴重品とお見受けいたします。さて中身。
かつては大変な綺麗どころだったのでしょう・・・違いありません多少お年をめされてそれは十九、二十歳に華やかさは及ばないものの
そうはいわれても、まったくかつてそうであったとしてもだナ、今となってはだな、こうまでなっるのかってあんた、思ってるって
吉野ケ里遺跡かポンペイ遺跡ならまだしもかつての美を思い浮かべる術があれ、
ここまでの風化で、様子もそうとうお変わりか。
變化、様変わりというよりも廃頽なのか遺跡というのか遺物なのか、脱皮後の形態というでもなく、
かつての栄華も廃れるのがならい・・・しきそくぜくうくうそくぜしきを詠歎するのです
ともかくお次のみどころは、と
観覧席の二段目をじっくり見ましょう。どっかの顔役さんですか?風のおじさんたちが腕くんで無表情でこっち見てます
このお方たちのみどころは格好、着物だけではありません。確かに派手な色のシャツに、お扇子、金の首輪にブレスなども見どころですけど
何と言っても重点を置くべきは髪型。もう、詳しくは言わん。おじさんには見てすぐわかる二通りがある。光っとるか光ってないかだ。
光っている場合は輝度とツヤ、シミの形状と場所、加えて眉毛のフサフサ度が鑑賞ポイントになります。
上級者になると、手入れ具合、メンテの苦労を想起させられますので総合的な趣に目を奪われます。
光っていない場合。まず髪型です。それ以前にイミテーションの髪かどうか。鑑別が必要です。
あなたなりに真偽を審議してイエスかノーのお答えに達しました時点で、隣の家内にオイオイこれ見よと指示して判断をあおぎます。
二人同時に偽頭(ニセアタマ)の判定に達し、それは全体か部分なのかを吟味。ついで生え際の処理具合から値段の高低の審議に移ります。
こういうの、なんだか知らんが結構楽しい
それでは次は、髪型ですね。端的に一番興味深いものから紹介したいと思います。
髪型の中でも、片側の耳介の上から頭頂を越え、向こうの耳まで長さがやっとこさっとこ足りる程度の長さの場合が一番みていて感じ深い。
普段人前ではきっちり1-9割に固められておる。多少の風圧くらいでは断固と揺るがぬ。こんなに人工的に固められた髪型には一層の趣をこえ
むしろ尊敬の念まで湧いてまいります。
指先にどれくらいの圧力をかけて洗髪されるのであろうか。
毛根に負担がかからないマッサージはどのようにするのであろうか。シャンプー後はどうケアするのか。ただ乾かせば良いってんで
ドライヤーをバーバーかけたりは絶対しないであろう。
養毛剤は何十種類お持ちで、いくつお試しされただろう。その効果を界隈でもっとも詳しくお知りなのではなかろうか?
発毛剤はいくつ?それで何本の発毛があったのでしょうか。
養毛剤と発毛剤のボトルはオクサマのシャンプーとリンスのボトルと仲良く並んで置かれてあるのでしょうか。
それともお風呂のドアを開けた外の左っかわの薄暗く薄汚れた
冷たいビニタイルの上に無惨にも追いやられ、挙げ句に洗濯洗剤なんかと一緒くた、雑然と置かれてあったために間違えて
ハミングとかブリーチで洗髪してしまってたりして取り返しがつかないくらいの脱毛が何度ありましたでしょうか
野次馬的にしりたいなー
シャンプーとトリートメントはお風呂に何本持ち込むのでしょうか。
そうだ、ご旅行の時は携えて行くのはどれ?寝ている間は何を被って頭皮を保護されているのでしょう
寝るときのアタマの方位は気になさってますか?
などなど余計な心配をして差し上げるのもよし。
さぞかし大変であろう朝のセットの苦労を偲びおのずから湧き上がる薄笑いにこらえきれず
わがころも手も涙で濡らしつつ、鑑賞いたしますのじゃ
この人は、日ごろの悩みよりも毎朝の毛量の減り具合に心を痛めているにちがいないとか。
他人の横からの視線に敏感だろうとか。地震や台風、ときには竜巻接近なんかより
天変地異から多少の事件より、一本のおのれの落毛の方が気がかりなのです。
朝には意を決し、いままさに目にせん現実にこころ打ち砕かれぬよう
相当の覚悟をされては鏡の前にお立ちになるというその勇気。
そこまで思いをいたすワタシとしてはやはりわらい涙がおのずといでくるのであります
加えるに。昨日の食事の刺激物の多寡と種類、睡眠時間にシャンプー・リンスの刺激度、頭皮に吹く風の湿度と風力。
本日の会議の座席の位置関係から室内カメラの設置場所も気にされているにちがいない。
こんな不安を毎日毎日押し殺して生きてこられたその人生
小中学校は良かった。高校生でやや額ひろまる。大学でた時にはすでに全体的に前頭部が秀で、輝きも帯び始めた。
変化に気づき、心に傷をもって社会に出られ、時のたつママかつてのみどりなす黒髪の半量を失うころ御結婚。
以来子育て、同輩に追い越され、親の介護をさせられてのああ人生行路!
意を決し現状をしっかり受け入れるまでにどれくらいの時間がかかったのか。想像するだに尊崇の念に駆られるではありませんか
その上で、今の毛をいくらかでも見た目以上に多めに確保していきたい。それだけを純粋に希求されていると・・・
このようにご想像申し上げるのも一興
さーてここで朝のルーチンワークを妄想いたしましょう
まず右耳脇で髪の根本をしっかと押さえ落ち着けるのです。
そのために毛の元をこめかみの皮膚に左手の人差し指と中指で押し当て仮固定。次に右の人差し指と中指で毛束を右側方へまっすぐ伸ばす、のだと思う。
このとき余計な力学的ストレスがかかるとイケマセン。一本も抜けないように神経を使うんでしょうナ、多分
そっから左人差し指と中指で右耳の脇で髪束(短冊状の)を押しつけたまま、右の人差し指と中指で軽く髪の先端までしごき一旦停止。
右肘は120度屈曲位のまま、右肩を内旋させつつ右上腕全体を左方向にさっとぶん回す。
右の示指と中指と左耳介の直上でこめかみの皮膚と接するんだ、これが。このまま左指腹で髪束の
先端を耳介上部でしっかり把持しつつ、自由になった右手で、かねて信頼厚い粘度十分と信じるヘアスプレーで、髪束に吹きつける。
スプレーしたら、押さえていた左指腹で右耳上からツツーっと左耳介上まで撫で、頭皮に密着させる。
そのあと鏡でポジションを確認し、櫛で二回ほど右耳上から左耳介まで円周を描きつつの、頭皮にイケナイ刺激を与えぬようだが、少しは発毛刺激を
与えながら櫛入れするんだろなー、なんて面白い想像などに身を任せ楽しみましょう
・・・他にはですなー。たくさんありすぎるけど(独り髪型に多くを費やしたから、話をはしょって)
ところどころで、弁当に夢中のオクサマ、お茶屋さんの袋の中に見入っているお方の仕草なども鑑賞いたしましょう。
真っ赤なTシャツのメタボさん。相撲見ないで携帯見てる人。花道際に運が良ければどっかの良いところ風のお嬢さんがモジモジするかたち。
通路際にかつての関脇、大関の親方がブルーのお仕着せで警備・販売・切符きりなどのお仕事されています。
通路の出入り口でストレッチする琴櫻、おつきに背中をバンバン叩いてもらう豊昇龍なんかもみどころ
結局見どころのツメは 力士そのもの
現在ワタシが個人的に興味をもっているのが、ええい!きたねえ話になるけどごめんなさいよ
どのケツが一番きたねえかってことでございますわ。ハイハイ、ワタシはその程度の男ですごめんなさいよ
えー、今のところ栃ノ心これがトップだったね。左のケツに切手サイズの四角い絆創膏みたいの、凸凹ぶつぶつの厚くて硬そうな皮膚の上に貼ってある。
膿がでてるのか?鍼をうったあとなのか?。これに比べ遠藤なんかホント、枕にしたいくらいキレイだね。え?それくらいにしろって?ワカリマシタ。
いずれ又このあたり、きちんと話すからね。
ダラダラ相撲の話ですけど、今良いなと思っているのが若元春です。
今場所中日から先、上位と対戦でポロッと負けたりしましたが、相撲内容は立派。今後強くなるなあと期待すること多大
若元春・若隆景・若隆元は三兄弟の力士で、毛利元就の三人の兄弟の名にあやかっているようです。
それにしてもお父さん男の子が三人生まれるとわかっていたのでしょうか。すごいな。三兄弟はいずれも良い相撲をします
しかし、皆さん若隆景って言いにくいでしょう?言いやすくする方法があるの。うちの医院では言うな!口外するな!バカ!とか罵られますが、
ワタシ、あえてここで発表いたします。ワカタカカゲを呼びやすくするマル秘の方法。その一。ワカタカまでは言いやすいがそのあとのカゲが
発音しにくい。これを言いやすくするに、カゲをハゲにするのです。ワカタカ・ハゲです。言いやすいでしょ。もっとばっと言いやすいのは
「わかったかハゲ!」と言うことです。第三に口に出して言いやすいのが「バカ・タカカゲ」です。二、三回怒鳴ってみてください。
誰も気づきませんことでしょう。えっ?違うって。なにが、どうしておれの何が悪いんだ?真面目な方々本当にごめんなさいよ。
この話、うがいして手を洗って、忘れてくださいまし。しかしこのテのハナシ嫌いではないからまたいずれ
いい足りないと思っているのが乳首のハナシでね
大の里はコンパスで直径8センチできちんと描いたような乳首ね
豊昇龍はなんと乳首の突起がちょこなん、乳暈は小さめ
遠藤を標準としてだな、なんたって上むいているのが琴櫻だけ
今場所休場の照ノ富士の場合。昔の桐ダンスの金具みたいな感じですね
こういうの良くないかなと思い始めたので・・・
しっかし、このハナシも嫌いではないからまたね
さーて。これから・・・自分でも随分といけないなーって、分かるけど・・・
あらかじめ・・・・公序良俗に反するようなハナシ・・・だからね
下の行みてちらっと見える?それ関係のハナシ
聞き捨てならん!気になる方にごめんなさい、お見捨てください
《注意警告》
【以下、煩悩まみれの耄碌オヤジが無神経に
毛髪関係に触れ無駄をいいます!毛髪のハナシは不愉快だ!やめろっていう方、これから先お気に召さないお話になると思うので
文句言うくらいなら絶対読まないようお願いいたします】
さーて・・・
養毛剤ってあるでしょ。あれ、ウスラハゲの人が使いたいんだよね、まず。そう思う
効果があるならなおさら使いたい。たとえ一万円でも買いたい・・・だろうと思う
だいたい風呂から上がってふりかける。家族の目に触れることを恐れ、気にしながら。もし奥さんの足音でも近くで聴こえようものなら
瓶をさっと体で隠す。指で瓶のクチを塞いでね。蓋してないとこぼれるとやだもん。もったいない
それはまるでテロリストがホテルの小部屋の暗がりで爆弾つくったり、武器を点検しているときのような目つきでだな、多分。って
わかってんのかオマエ!って言われたら、オレすいませんっていうぞ。ま、これはさておき
ハナシを元のウスラハゲと養毛剤にもどーす!
でも強い薬ですよ、副作用があってな、人によっては脱毛するかも知れんって書いてあったら二の足を踏むでしょな
しかーし、すでにツルッパゲになっていたらばだ。何だそんなもん、何が怖いモノかって感じでバンバンふりかけてみせてくれるかもしれない
この場合、家族の前だろうが、家の玄関を出て郵便ポストの前で隣の奥さんと目があって、おはようございますって言われながらでも
平気なんだろうな。ああ、おはようございますなんて挨拶返しながら、ジャブって頭皮にかけるが、大方が表面で弾かれ左右前後に垂れるナ、
そこをもったいないって、瓶を持った手と持ってない方の手で耳の上辺りで流れをせきとめるね。だから効能がホントあった場合に
眉と耳の周りがフッサフサ。そういう感じの方見たことありますよねえって、同意を迫られても困りますってアンタ。
ここまで来てオレ関係ないよーっていう?じゃ、これ以上読まないでよ
ハナシをまたもどーす
つるっぱげは養毛剤を今更なんだ!と無視するでしょう
ところが、これこそ養毛剤などと云うようなそもそも生易しいモノではアリマセン。正真正銘、ホンモノの発毛剤なんですョ旦那さん。
ハ・ツ・モ・ウ剤なんですョって、通販の社長さん並みに言葉巧みに薦められたとしたらどうだ
この時、薦めているやつが試しに一滴腕に垂らしてみせて、布でさっと覆ってそれをとったら・・・なんとそこにボッと毛が生えてる!のを見せられたら、どうなんでしょ
それ、蝦蟇の油売りと同じケチな手口と口上で
追い打ちに類科学的に
毛根があるうちに必要不可欠なのが養毛デス。それで毛根がなくなってしまった後の状態には発毛デスって言われたら相当納得してしまうに違いない
追い打ちかけて、サイエンスもどきに
稲作で稲に元気がないとか、収穫が少ない場合、肥料とか病害虫退治ですよね
しかし、荒れ地でなーにも生えていないツルッツルの土地だったら、耕作と田植えからやらないとイケマセンなんて決め打ちを聞かされたら
ってわけで発毛剤に散財を惜しまない旦那さんも少なからずでてくるのであろう
この旦那さんだけど、自分だけふりかけていてもちょっと不安。だから、まあ同僚に"似たアタマ具合"の方に、これ効くゼ試してみな
ちょっと分けてあげるーなんて親切言って実はそれから1ヶ月間じーっとそいつのアタマ具合を真剣に観察していたりするんだろうな
・・・って一体オレなんのハナシしてたんだっけな、意味ネーハナシだったなあモウやめよう
そうそう、健康食品と薬の違いであった
効果があるかどうか、そうなるともともと効果が保証されているが副作用もありますよって"文献"に書いてあるのが薬です、これは間違いなし
健康食品は、効果があるかどうか。あくまでも個人の意見ですって"チラシとか通販の画面"で見える。副作用なんか書いてないですからちょっと試しちゃおう
自分のカラダでなんかあったらやばいから、もうあまり先がない親に試してもらって・・・なんてことで
親にプレゼントして親孝行だと言われてる娘も居たりして・・・いませんって?探してみないとわからんそんなモン
ああー不毛だなあこんなアホ書きまくって・・・虚しい・・・けれどこのテのハナシきらいじゃないからナ、またすっかもネ
今日はここまで 全体的にアンダーコンストラクション
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先月ワタシ4泊5日入院で胆嚢摘出術を受けてまいりました
かねてより”健診で胆石を指摘されていたから”と包み隠さず、皆様に公表してきました
いつします?
そうですね夏休みが良いです
病院の方も夏休みになるのできればその後にどうですか
ワタシはワタシの医院が夏休みの間が良いのですが
病院は夏休み体制だって言ったでしょ!
わかります・・・じゃいつが・・・いいでショ?
9月9日入院9月13日退院なんかどうです
ワタシ(表には出さず心のなかで)九の九つまりキュウキュウ入院、えっなんだそれに13日って金曜じゃん
オレ、カトリックじゃないけど後で何かあったらそう思うぞ、と必死になって
先生、どうでしょ、9月8日日曜入院で、9月12日退院で・・・お願いします
で、そうなったんだね
結局、9月8日は秋場所初日だったけどこの週が連日35度だったからね
炎熱酷暑の中で胆石抱え鬱々、貧しい診療していてもしかたなし
いっそ入院しようと
後から考えたらこの日取りは良かったと思います
それでだ、退院して半月もしてだ
ひさびさに顔をあわせた患者さんが
「たいへんだったでしょ~」「いたかったでしょ~」って明らかに唇に笑みうかべて!
なんだかワタシが胆石発作でウンウン唸って苦しんで死にそうになって
救急車で運ばれ、緊急手術!のようなストーリーになっとるではないか・・・
そうじゃなくて「か・ね・てから」
そう、前々から三年前から、健診で胆石があるって知ってたわけですょ
良い?胆石があることは、わかってたの
で、まーシゴトが暇な時を選んで・・・いい?どーしよーもなくなってからじゃなくて・・・
だからそうじゃなくて、胆石の痛みで転げ回ってとか、死にそうになってからじゃないの!
計画的に都合が良いときに、胆嚢とったのヨ、わかってます?
これ散々言ってきたデショ
それなのに・・・久々にこられた患者さん
「たんせき、たいへんだったでしょ~・いたかったでしょ~」
そう言って来られる
なんだかオレが苦しんでほしいのか、イッソ死んじまったほうが良いのか・・・
しまいにゃヒネクレるゾ
しかし、まあそうだよな~。
オレだって、医局時代に先輩が入院手術されるなんて聞かされた日には
なんか嬉しくって、面白くって・・・心躍る気持ちがおされられなかったヨ
ああ、人生ブーメラン現象
気をつけなくっちゃと思っても、オレ、もう遅いかなあ